うらおもて

子供のころから右左や裏表に困ってきた。鏡に映る自分が自分を見てくるのを手のうちに入れることができず、床屋の大きな鏡を見ることを苦手にしてきた。右手を動かすのに鏡に映る自分は左手を動かしているように見える。鏡から目をそむけ、じっと下を向いていたことを思い出す。コインの裏表もずっと勘違いしたままだった。間違っていることを指摘されても、納得がいかず消化できない時期が長ったと思う。だが、さずがに此処までくるとかなり人生の裏表が分かるようになったし、トレーニングを積んで実感に近づいており、それほど苦にしなくなっている。

まず「おもて」から。「おも-て」で「面て」だと思う。「おも」は顔、「て」は「上手(うわて)」「下手(したて)」「左て」「右て」などのように側の意だろう。

顔には目、鼻、口があって前に向いている。「目」について言えば、「前(まえ)」は「まへ」で「まぶた」「まなこ」などの「目(ま)」から「目(ま)へ」。これに対し後ろは「しりへ」で「尻へ」だ。ここでの「へ」は方向を指す。英語でコインの表は<heads>、裏は<tails>だから、この「まへ」「しりへ」に対応している。和語は人の「目」「尻」を対応させ、英語は動物の「頭」「尾」にそれぞれ対応させているように見える。これからすると前後と表裏は近しいようだ。口は物を食べたり向かい合ってしゃべったりするわけだから、これも又実感があり、はっきり前へ向いている。

「おもて」は「顔の側」で前方としても、「うら」はよく分からない。「うしろ」の「う」と関係ありそうに見えるがどうだろう。「う-しろ」でよければ、「う-しり」あたりで後方を指している。「尻」は自分の目では見えないから、「目(ま)へ」と対義に解してよかろう。英語の<front><back>に対応するだろうか。

「おもて」「まえ」が目前にあって明らかに見たり実際に対面するのに対し、「うら」「うしろ」のいずれにしろ、頭の中で考えたり感じたりしても外へは出ない曖昧さがある。「うら悲し」「うら寂し」などは、「おもて」から見えない密かな心情を表しているかもしれない。

「占(うら)」もはっきりしない点がある。ことの背後にある真実を探ろうとするからだろう。腕利きの占い師でも、ピンポイントに未来を予測することは難しい。

「浦(うら)」については「うらへ」と考えてみたい。漁へ出るにしても、遠路航海へ出るにしても海は恐ろしい。一旦天候が荒れれば命の保証はない。無事泊へ帰ってくるところが「浦」ではなかろうか。必ず戻るところ、つまり母港という意味である。

ところで漢字の「表」「裏」が何偏につくられているか分かりますか。『説文』で「表」は「𧘝 上衣也 从衣毛」(八篇上293)で会意、「裏」は「裏 衣内也 从衣 里聲」(八篇上294)で形声となっており、どちらも衣偏です。今回はこの辺で。                                               髭じいさん

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