四本柱

コラムに収めようとすれば、要旨を簡略化し、明解にしなければならない。厄介なことである。何をやっているのか不思議な人も多かろう。

これまで諏訪信仰に関連して「至」のつく字を検討してきた。「屋」「室」など建造物たる文字の中に会意字として「至」がつくと、「尸」「宀」に「至」の意味が加わることになる。「至」字の成り立ちから、射牲や場所を選定したことなどが分かる。実際に甲骨文には祭事に犠牲を射る例があるし、境界を定めたり、場所を選定するための行事があった。「至」にはその背景に何らかの祭事があったと考えてよい。

「屋」の「尸」は「屍(しかばね)」とも「層」などのように建造物とも解せるが、いずれにしても出所は同じで、「矢を射て占い、屍を仮に置く場所を決めて建てた行屋」である。また「室」は同じく「矢を射て選定し、祖霊をまつるに建てた恒久の施設」と解してきた。いずれにしても矢を射ることが祖霊を祭る上で重要な役割を果たしている。本邦においても年穀や狩猟などの卜占や、境界を定める占有表示のために矢を射ることがあった。

「臺」もまた「至」を含む。自分に都合のよい例を選んで書くことは厳しく戒めるべきだが、用例が多岐にわたるので、ここでは概観するにとどめる。まずは構造物としての側面から。

『説文』では「臺 觀四方而高者也 从至 从高省 與室屋同意 㞢聲」(十二篇上010)となっている。まず『説文』を選んだのは、「屋」「室」「臺」を一括りで見ている点を見ていただきたかったからだ。恐らくはこの三者が「至」を含む建造物として共通することを指摘したかったのだろう。

字の成り立ちが「高」の省文と「至」の会意だから、「四方を觀する高者なり」は理にかなっている。「觀」は特別に見ることで、「觀天下」などの例がある。一般に「臺」は「方形の高い建物」とされ『老子』道德經にも「九層之臺」とあるが、必ずしも臺に屋がある必要はなく、屋のあるものは「榭」である。なぜかこれにも「射」が用いられている。道德經の「起於累土」や『爾雅』郭樸注に「臺上起屋」とあるところからすれば、「臺」は構造物を建てる方形の土台へ零落している。

私は四本柱に関し「靈臺」を思い浮かべている。名からすれば何らかの形で祖霊を祭ったことは間違いあるまい。建造物の土台は重要だから「台」を含んでも不思議でないが、「臺」を方形の高い構造物とみれば、四本柱の可能性があろう。これに屋をつけるのが「榭」で、「臺榭」が「臺」となれば屋根のついた高い建築物全体を「臺」と呼ぶようなる。

「夏臺」「鹿臺」「逃責臺」などの獄、「ものみ」「やぐら」「武器庫」として軍事など、「臺」の用途や変遷については機会があればということで。

                                              髭じいさん

参考にしてください。

『説文』「臺 觀四方而高者也 从至 从高省 與室屋同意 㞢聲」(十二篇上010)

『説文』「觀 諦視也 从見 雚聲」(八篇下057) 段注「穀梁傳曰 常事曰視 非常曰觀」

『周易』「彖曰 大觀在上 順而巽中正以觀天下」(卷第三 觀)

『爾雅』「有木者謂之榭」(釋宮第五・8-2) 郭注「臺上起屋」

『老子』「九層之臺 起於累土」(道德經・64)

前の記事

ヒタヒタと迫る