新たな試み

三月に入り庭の雪も大分融け、少しずつ山の景色も変わって心も解けかけていた。ところが今朝、目覚めに外を見ると雪だった。寒さが緩んでいたので油断していた。こうなると雪が降る前の出来事がはるか遠くへ去ってしまうような気になる。

先週末のことだった。近頃コロナ禍で碁会が開かれないということで、気分転換を兼ね、寒い中でも散歩に出ることがある。その日も暖かだったし、たまたま出かける気になった。帰り際にいつもの友人宅へ寄ってみると、先客がいて私の顔をしげしげと見る。今年初めて会ったからかも知れないと思ったが、どうもそういう事ではないらしい。

主人がたどたどしく説明するが要領をえない。ゆっくり聞いているうちに凡その状況がつかめてきた。先客は女流の随筆家で、多才な方である。知り合ってまだ数年というところ。彼女はユーチューブにサイトを作っていて、様々な情報を発信している。友人宅で何回か拝見したことがある。その中で楽曲も提供しており、折に触れた選曲がなかなかおもしろい。彼女は三年ほど前から友人を先生としてギターを習っている。めきめき腕前を上げ、レパートリーも増えているようである。

一緒に演奏していた人が近頃亡くなったということで、追悼のためにも楽曲を新たに発信しようとしていたらしく曲も絞られていた。その中に「神田川」が入っていて、私が候補になっていたと言う。友人は私が気難しい性分と感じていたかどうか、頼んでも歌ってくれないと考えていたようだ。そんなすったもんだの中、私がのこのこ入ってきたというような事らしい。

凡そ話はつかめたとしても歌うとなれば別である。私も知っていた人だし追悼の意味は伝わったが、大袈裟だし、どうしたものだろう。一時とは言え人様の前で歌うことになるのはまずい。何回か聴いて歌詞は分かるとしても、楽譜を見てちゃんと覚えたわけでもないから音程に自信がない。あれこれ考えているのに、さっさと準備が進んでいく。

若い時に酒を飲んでカラオケを歌うことはあったが、ここ数十年はご無沙汰である。断るのも大人げないと決めて歌詞を眺めてみた。流れるまま歌い始めて見ると何とか前半は耐えられたのに、「若かったあの頃 何も恐くなかった ただ貴方のやさしさが恐かった」が無理だった。伴奏していた彼女がこれを察したか、合唱してくれたのが有難かった。何とか歌い終わり、「あの時」は再現できなかったものの、長い年月が隔たっていることは実感できた。

この歳になっても新しい試みはあるんだね。彼女のサイトは教えない。                                               髭じいさん

前の記事

はふり

次の記事

早春雜記