はふり

「祝う」は今では「いわう」と読まれるが、旧音では「いはふ」である。音を辿るには旧仮名遣いが便利で、古音がかなり分かる。本邦で「祝」は「いはふ」のほか「はふり」「いのり」などとも訓まれてきた。いくつか説があるものの漢語としての原義は「いのる」が近いようである。

「はふり」について『萬葉集』に頭をよぎる句が幾つかある。

1「味酒三輪の祝(はふり)がいはふ杉 手触れし罪か君に逢ひがたき」(四・712)

2「味酒三輪の祝(はふり)が山照らす. 秋の紅葉葉散らまくをしも」(八・1878)

3「祝部(はふり)らが齋ふ三諸のまそ鏡 かけてぞしのぶ人ごとに」(十二・298)

上の例で言えば、祝だけで「はふり」と読まれることがあるし祝部という例もある。1と3に「はふりがいはふ」「はふりらがいはふ」とあり、「はふり」「いはふ」が同じ歌に使われ相性がよいらしい。

「はふり」は「はふる」の連用形が名詞に転じたとすれば、「はふ-り」と分けられよう。「はふ」は「屠(は)ふ」で「ほふ-る」に関連すると思われる。「氏」という字は象形で、曲刀を表しており、細く曲がり肉を切り取るのに適していると云われる。私はこの祝(はふり)が曲刀を以て動物犠牲を屠り、その肉を解体して氏族の者に取り分けている姿を連想している。

「齋ふ」は「いはふ」で、「いのる」と同様に、「い-はふ」に分けられそうだ。「いのる」は「祈る」とみれば「いの-る」だが、祝詞を「のり-と」と読むことからすれば、「い-のる」だろう。「い-告(の)る」である。これもまた連用形が名詞になったのではあるまいか。一般に「い」は「いでゐ」「居残り」のような使い方が多いので、ここでは仮に「居」と解しておく。

本邦の古語で「いはふ」は、「齋兒(いはひご)」、「忌瓮(いはひべ)」、「鎭國(いはへるくに)」、「護言(いはひごと)」などに用例があり、それぞれ「齋」「忌」「鎭」「護」などが充てられる。「齋」は神をいつき斎うことだろうし、「忌」は身を清めて物忌みし、「鎭」は国ないし国魂を鎮め、「護」は言の葉を祈りまもる辺り。

祭り事に際し身を清めていつき祀り、神への約束や願い事を守り、心して国家の運営にあたる。司祭者の仕事そのものであって、同時に氏族や国家を統率する姿が見えてくる。諏訪の大祝(おほはふり)は祭主であり王ということで、生神さまと呼ばれたのでないか。

漢字で祝は二音あり、祝儀で「シュウ」、祝杯で「シュク」と読まれる。実際のところ古音に入声音があったかどうかはっきりしないが、少なくとも秦漢代には想定されることがあった。この他「祝」には「咒」「呪」などと通じ、「ジュ」に近い音もあったらしい。

                                             髭じいさん

『説文』  「祝 祭主贊詞者 从示 从儿口 一曰从兌省 易曰 兌爲口 爲巫」(一篇上047)

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