行き違い

今回は人生の行き違いと言うような大袈裟なものではなく、何気に行き違いをしていることが続いたので書いてみることにした。

週末に図書館へ行こうと思い、ペンやらノートを用意して家を出た。私が通っているのは八幡分館で、二階に郷土史に関する書籍があり、いつもここに腰を据えて読んでいる。

暑い盛りなので、ゆっくり二階で涼みながら、気になる文献をあさっている姿を思い描いていた。バイパスの信号を渡ると、階段を上って旧高等女学校の門を通り、たいていは急ぎ足で入り口まで行く。その日は余裕があったからか、同女学校の説明文やら写真が載る案内板を眺めていた。というのも私はこの辺りが「六林」という字にあたると理解しており、念頭から離れない「馬保」との境界を探ろうとしている。

ひとしきり周りを眺めながら、一区切りしたので図書館へ向かった。ところが休館である。お盆を挟んで日程が不規則になったのかもしれない。出る前に検索しておけばこんなことにはならなかった。この日は何だか残念な気がした。

仕事場の玄関灯と台所の蛍光灯がつかないので、週初めに近頃世話になっている電器屋へ電話しておいた。その日は野暮用があり立ち会えないということで、自宅ではなく仕事場であることを確認しておいた。ところが何日か経っても直っていない。要領得をないので自分で玄関灯の蛍光灯とグローを換えると何とかついた。ところが台所の方は接触が悪いようで私の手には負えない。そこで再度連絡すると、やはり私の自宅だと勘違いしていたようだった。これで腑に落ちた。改めて依頼して、台所の方を直してもらったがまだ最終確認をしていない。これは電器屋の中で何かの行き違いがあった事と私が最終確認を怠ったことが原因である。

週末に立ち寄った友人宅での話。入るやいなやパンプキンパイを半分に分けて食べようと言う。一体何のことか分からないので説明を求めると、その日の午後に「中年の随筆家」がパイを持ってきた。どうやら二つあったようだが、一つは既に平らげた。残りの一つを食べようとしたら、私が入って来た。そこで半分に分けて二人で楽しもうという事らしい。急に彼女のことが頭に浮かび、急いで話すこともなかったのに、入れ違いになったように感じてその時には残念な気がした。翌日に会えたので、何と言うことはなかったがね。

年を取ると気が急くのか、根気がなくなるからか。落ち着いて当たれば容易に出来ることが、一つ一つちぐはぐになり、思いとは異なる方向へいってしまう。日常茶飯事だからこそ、心して取り組んでいかねばなるまい。                                              髭じいさん

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