徹夜踊り

郡上踊りは知られているが、私は踊らない。その踊らない私が書くのも変な気分である。通算すれば四十年ほどここで暮らしているのに、どれ一つまともに踊れない。このあたりが完全な地元民とはみなされない所以かも知れない。地元の人は何だかんだ言っても、お国自慢に思っているのは間違いない。毎年この時期になると高揚と寂しさを味わうことになる。

新型コロナの蔓延を警戒して二年間踊りが無かった。我が家と仕事場を遮るように踊りが行われることが多く、帰りが遠回りせざるを得ないので、私としてはそれなりに有難い一面はある。が、踊り好きのみならず大方の人は物足りない思いをしていただろう。

今年は例年の半分ほどの日程で行われており、我が町内が主催する踊りは割愛された。事情が事情なので仕方ないとしても、残念だった人もいるだろう。

徹夜踊りになると、踊りスケベの血が余計に騒ぐ。まして三年ぶりに行われる「徹夜踊り」である。今年は、観光に関わる人をはじめ地元の応援もあり、規模を縮小して行われた。新型コロナ対策として消毒やらマスク、人数の制限、踊る際の間隔などいろいろ配慮してやっていたようだ。

残念ながら午前一時で終わっていた。こんなご時世だから仕方ないと諦めてくれただろうか。主宰者の頑張りをみればこれでも「徹夜踊り」と認定してよいような気がする。期間中、雨にたたられた日が多く、老若男女問わずビタビタになって踊る人がいたようである。

心躍らない私は毎年この時期に夏休みを取ることにしている。ここ二年やっていなかったせいか、ぼんやりして最後の仕事が徹夜踊りにかかってしまった。仕事場の近くに拡声器がセッティングされており、踊りのルールやら指針みたいな話だけでなく音頭もまた大容量で閉口した。周りの家もかなわなかったのではないか。暫くして容量が抑えられたので何とか仕事を終えることができた。これは日程を踏まえなかった私に非があるので、クレームを言うことはない。

幸い三日目だったかに晴れた。私の孫は相当踊りが好きそうで、この日を楽しみにしていた。彼はすっかり地元民となっており、仲間と踊りに行くと言うので、我が家を基地にしたいと言う。例年なら夜明けごろお開きになる心づもりをしてくるが、今回は夜中になるということで彼なりに気を使っていた。

私はいつもこの時間あたりに寝るが、玄関や階段の電気をつけっぱなしにしておいた。いつの間にか寝入っていたようで、ふと目ざめると、孫が帰っているのにまだ灯りがついていた。                                               髭じいさん

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