女々しい

「女々しい」は私の中では死語となっているが、いつもの場所で話題になったので書くことにした。たまたま居合わせた仁が、「女々しいという用語は男性に使い、女性には殆んど使われない」とおっしゃる。なるほど、一般に女性に対して女々しいとは言わない気がする。

彼女によると男性は女々しい人が多いという。女性は出産や子育てで一生の苦難と楽しみを経るので少々のことでは動じなくなる。これに対し男性は異姓との付合いを引きずるし、怪我をしてもこらえ性がなく痛がる傾向があるそうな。

若い時なら、女々しいと言われれば相当傷ついたと思う。怖い事でもやせ我慢して平気な様子をつくろってきた。一番に浮かんできたのは、小学生のころ暗くなってから一人で風呂へ出かけていた時のこと。途中、家と家の間の暗がりがやけに深く、何かが飛び出してきそうな気がして怖いところが何か所かあった。それでも、幼心ながら走り出したい衝動を抑え、俺は恐くないんだぞと言い聞かせながら、ゆっくり歩いて通り過ぎたものである。

一事が万事で、怖いものに追いかけられる夢を見ても、走り出したい自分を抑えていた。だからと言って勇敢な子供だったわけではなく、ただやせ我慢していたに過ぎない。今では恐いものは恐いと認められるし、それほど繕わなくなった。恐がる自分を楽しんでいるかもしれない。

「女は弱し、されど母は強し」という文句がある。出産のみならず育児も殆んど女性が担っていた時代では、日々家事や子育てで忙しく、細かなことまで行き届かないこともあっただろう。「肝っ玉母さん」になる他ないことも多かったかもしれない。近ごろでは男性の育休も広がり、家事や子育てなども同じようにこなすことが増えてきた。

女性の様々な分野への進出が著しい。女性が上司である場面も増えてきている。トップランナーたる彼女たちのみならず、分厚い層が男性の牙城を破っていくのは当然であるし頼もしい。男に負けじと仕事で出世することも多くなり、これを当然の事として受け止められる世の中である。ここら辺りに女性がおっさん化せざるをえない事情が隠れていそうだ。

頑張りすぎの代価を払わねばならない場合もあるようで、恋をする暇がない程働き出世したものの、どうしても子供を産みたいという望みを断ち切れない人もいるらしい。それなりの方法も考えられようが、やっぱり時間をかけて男女の関係を育んでいきたい。自分の弱みを大切にし、これをさらけ出せる付合いをするには心の隙間が必要である。社畜に成り下がってはいけませんぞ。

女性が女々しいのは流行らないとしても、ちょっとした恥じらいが女性の尊厳を妨げるとは思えない。                                               髭じいさん

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