年越しそば
年末に餅つきの音がしなくなって久しい。近頃では機械でつくことも少なくなっているようだ。準備が大変だし、餅を丸めたり切ったりする手間も結構かかる。子供や孫も近くにいないし、居てもそんなに食べてくれないとしたらつくる元気もなくなってしまう。自分たちの分だけなら、スーパーで買えば済む。
大晦日に食べるそばについて、ややこしい話になったので何となく触れてみる。ある子が年越しそばを食べるのは「家族がそばにいられるように」という思いがあるからだと云う。そうだったかなあ、そんな地区があるのかも知れないなとは思ったが、腑に落ちない。もっともらしく聞こえるので、ネットで調べてもらうと、そういう意味は見つからなかった。
その子の家では毎年食べるそうだが、調べてもらった子の家では食べないそうで、律儀に食べる家も少なくなって居るようだ。ただ大晦日の晩はどこでも御馳走を食べるらしく、子供達にはオードブルを用意する家が多いと云う。
ここら辺りでも近頃はお節を食べる習慣が薄れてきているようだ。子供達がきっちり年末年始に帰郷するのなら、年寄りにも頑張りがいがあるだろう。だが、休みの都合で三が日を過ぎてから帰ってくるようなことになると、夫婦だけや一人で正月を過ごすことになる。
かつてここら辺りでは正月には上等の身欠きにしんや、棒鱈、数の子、たつくりなどの海産物を御馳走として食べた。旦那衆なら日本海産のブリを用意したようである。八百屋の店頭では紀州ミカンをいっぱい並べて、箱ごと売れたらしい。どれをとってもめったに口に出来ないものだ。
暮らし向きも豊かになり、高速道路が整備されて交通が便利になったからか、ここでも年中鮮度のよい魚が手に入るようになった。正月に特別の御馳走を食べて感激することが少ないかも知れない。
我が家では、元日の雑煮だけはしっかり残しているが、その他はあって無きが如しで、正月らしいものを殆んど作らなくなってしまった。年寄りがそんなに食えるわけもなく、申し訳程度にお節の中で好きな物を選んで、日常の食卓にのせるというような具合である。
となると都市部ならお節の中で好物としている部分だけを残すとか、すっかり形が崩れても不思議でない。それでもまあ旧家であるとか伝統を重んじる人なら、昔のように一通りメニューをそろえる事もありそうだ。
ネットを調べると、そばはウドンより切れやすいので今年の悪運を綺麗に切り落とすなどというような説もあったが、やはり年越しそばを食べるのは細く長く無事に過ごせるようにという願いが勝っているらしい。 髭じいさん