正月
明けましておめでとうございます。何やかやあっても年が明ければ穏やかな気分になる。暮から正月にかけて、一週間コラムが休みになった。ここしばらく休まずに書き続けていたので、気楽な週末を過ごすことができた。その意味ではゆっくりできたが、何をするわけでなくとも年末は気ぜわしい。前途多難であっても、明けてみればそれなりにやって行けそうに感じるのは不思議だ。
こんな時代だから正月が特別かどうかも議論のある所だろう。三が日連休になる人が多いだろうから、まあ特別ということにしておく。
以前は故郷へ帰りゆっくり過ごす人が多かったが、近頃どうなのだろう。いつもは年始からスキーに出かけていた子供達が、今年は孫を連れて帰郷してきた。もう大袈裟にお節を作ることも無くなっており、かなり慌てた。それでもまあ、お節のセットを取り寄せたので一安心。雑煮の餅も関西風の丸餅を持ってきたので、懐かしく食べることができた。
近頃初詣は一人で近くの神社へお参りするだけだったのに、なぜか今年は大勢で行って来た。これまで孫は神頼みに興味がなく一緒に行ってくれなかったのに、今年は受験という事でついて来たらしい。
もともと筆不精で殆ど書かなかった年賀状だが、近頃はおっくうになって更に少なくなってしまった。枚数があればパソコンソフトを使って絵も入れてとなることもあろうが、これまで凡て手書きで済ましてきた。近しい人の弔事があったという連絡が結構ある。あの人も亡くなった、この人も亡くなったという風に段々淋しくなる。受け取る年賀状も少なくなって、拍子抜けするほどである。
あなたはお年玉をあげる人ですか、それとも貰う人ですか。私はあげる人でもあるし、貰う人でもある。又あげることも貰うこともない人もいそうだ。それぞれ人生が垣間見れる気がする。私はすっかり歳を取り子供からお年玉をもらう身であって、同時に孫へあげる立場でもある。核家族化もここまで進み田舎との繋がりが希薄になってしまえば、そもそもお年玉とは縁が薄くなってしまうこともあるだろう。
私らの世代ともなると、帳面をつけてお盆や年末に決済するという習慣は殆んどない。庶民が年末に忙しいのは半年間たまった掛けの代金を綺麗に支払いたいという思いが底流にあったからではないか。一生懸命に働いても貧しいままで、正月ぐらいは普段食べられないものを食べ、子供に新しい服を着せてやり、床屋へも行かせたい、お年玉もあげたいという親心が正月を特別にしてきたように思う。 髭じいさん