そら
近所に住んでいる幼児がおり、「そら」と名付けられている。平仮名で「そら」である。彼女はちょっと恥ずかしがりやだが、元気な子で、家の前を通ると元気がもらえそうな気がする。私はその名前も気に入っている。ただ何故平仮名にしたのか、いわれがどうなのかまでは聞いていない。
「そら」は一般に天空の「空」を浮かべることが多いだろう。こちらでも若者はやはりそうだと思う。ところが年配なら、「そらへ行く」というような用例がある。私は若い時にちょっとばかり山仕事をしていたので、山道を抜けて見晴らしの良い地点に出ると、一気に空へたどり着いたように感じたものだ。当時、「そら」は「天空」だと解釈していたように思う。美しい表現で、気に入っていた用語である。
だが近ごろ、別の解釈をする方が理解しやすいのではないかと考えるようになった。地名の用例からすれば、「そら」を「空」と表記することがあるものの、これが原形ではない気がしている。少しばかり用例を見ていただくと次の通り。
1 旧吉城郡上宝村福地 旧大野郡荘川村海上 ソラ山
2 旧吉城郡上宝村神坂 湯ノ空大コバ
3 旧吉城郡上宝村金木戸 空ラノ平
4 旧吉城郡上宝村宮原 ソラ
5 旧吉城郡河合村稲越 家のソラ
皆さんどうでしょうか。例えば4の「ソラ」が天空なら、そもそも地名になることが難しいでしょうし、実際このあたりでは字地名になる例は見当たらない。また5や6のように、家や村の「ソラ」が特定されることも難しいでしょう。これら飛騨地区のみならず美濃地区でも、地名の観点からすれば、「そら」を「天空」と解釈するのは難しいのではないか。
この辺りで「そら」が山の頂や稜線に近い所を指すことは間違いなので、私は「そ-ら」と考え、更に「そ-うら」へ遡ってみた。大野郡白川村飯島に「ソウラ山」の実例がある。これまで考えてきたように、「そ」は「沢」と見てよいでしょう。「うら」は「うれ」とほぼ同義で、先端を表す語です。従って「そら」は本来沢の最上流地点、或いは水源地を意味したのではなかろうか。 髭じいさん