「そら」の語源
語源を特定するのは難しい。文献から用例を揃え、古きを遡っていくのが常道である。だがこれでも十分とは言えない。用例間の溝を埋められないことも多い。地名はその土地に刻まれた歴史そのものであり、文献では埋まらない隙間を繫ぐことがある。
この辺りで使われる「そら」という地名は、結構重要な情報を内包していそうだ。今回実際の用例から「そ-ら」と分け、「そ」は「沢(さは)」が変化したもの、「ら」は「うら」の省略形と考えてみた。これまでの経緯を振り返り、傍証をこころみることにする。これまで「空(そら)」の語源はいろいろ考えられてきた。主なものを挙げると次の通り。
1 ソリテミル(反りて見る)の義
2 ウチラ(内)に対してソラ(外)か
3 ゾウラ(背裏)
4 ソハラ(虚原)
5 ソトからソラへ音転した。
以上である。それぞれ根拠がありそうだが、地名から考えると、1なら「見」が音変化せずにそのまま使われる例が殆どだし、2,5の音転は相当遠い。
私としては3,4が気になる。ゾウラ(背裏)に関して言うと、「ゾ」が「背」で一方向に限定される点が腑に落ちない。山を前にして見ることもできる。「裏」の解釈に引きずられている気もする。「ウラ」は「裏」の他、「浦」「上」やものの「端」を表すことがある。
4の「ソハラ(虚原)」は恐らく「ソラ」に虚ろの義を強調する解釈だろう。「ソ-ハラ」から「ソラ」になったとすれば、音韻としては自然である。ただ地名として考えるなら、これから「空」の意味へ発展することは難しい。これもまた「沢(そ)-原」と解せば有力な仮説だろう。
記紀万葉では、「天空」を表すの「ソラ」もありそうだが、実際に足を運んで行く場所と解されているものがある。『古今集』辺りから「天空」や「虚しい」の意味で「ソラ」が定着していくのかも知れない。
「淺小竹原 腰泥(なづ)む 蘇良(そら)は行かず、足よ行くな」(『古事記』歌謡)
「下つ毛野 安蘇の河原よ 石踏まず、蘇良(そら)ゆと來めよ 汝が心告白れ」(万葉集14-3425)
『萬葉集』の例でいえば河原の上流へ遡る義が残っていそうなので、「沢」が「サハ」から「ソ」、端として最上流を表す「ウラ」を加えた「ソウラ」が原形だと解したい。 髭じいさん