ひぼら

題を平仮名にしたのには意味がある。地名は漢字で表記されるのが普通で、難解地名などが平仮名やカタカナを当てられる。かくして、漢字で記されている場合は本来の意味がそこに表れていると解釈されやすい。確かに、伝承された地名がそれぞれの時代に地元の人によって納得されてきた訳だから、漢字表記を軽視できるはずがない。ただその本来の意味が不明となっているものも多いわけで、そのまま漢字の意味に基づいて解析してよいとはいかない事もある。

まず郡上での用例を見ていただくと、目につくのは次の三例。

1 日洞(ヒボラ 八幡那比)

2 日洞(ヒボラ 明宝畑佐)

3 ヒボラ(和良土京)

1,2は「ヒ」に「日」が当てられており、一般にこれで解釈されてきたように思う。これに対し3の「ヒボラ」はカタカナ地名となっており、私はこれの方が原形に近いのではないかと考えている。

「ヒ」について、これまでさまざまに解釈されてきた。列挙すると次の通り。

1 漢字表記を生かして、「日(ひ)」とする。

2 鍛冶、炭焼き、火葬などで使われる「火(ひ)」に由来する。焼き畑説もこれに含まれるだろう。

3 普段水が流れない洞や谷につくことが多いので、「干(ひ)」とする。

皆さんはどう思われますか。「日」「火」「干」いずれも和語であって、それぞれ繋がりに不自然なところはない。ちょっと理屈をこねてみると、

1の「日」については、「日面平(ヒメンビラ)」「日向(ヒナタ)」「ヒガンデ」など日が昇ることや、「日陰平(ヒカゲビラ)」が日が当たらないなど具体性のある地名となるはずで、小字で大上段に「日」を使うのは腑に落ちない。

2の「火」については伝承と一致する場合があるようだが、一般化は難しい気がしている。今でも焼き畑説には魅力を感じているものの、飛騨に見られる「ヒ谷口」等と並べてみると、どこか不安がある。

私はいくつか踏査した結果から、3の「干(ひ)」に傾いている。普段水の流れていない洞や谷だったからである。勿論これを正解と断ずるつもりはないし、美濃や飛騨地区を越えて主張しているわけでもない。                                               髭じいさん

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