下呂

下呂(げろ)はこの辺りで知られた温泉地で、何回も訪れたことがある。今は下呂市ということで大地名となっている。

この語源についてまだ確信のあるものはない。これまで私が触れてきたものは「呂」を漢語とみて解析を試みてきたものが多い。

1 「保について」( 2020年11月17日)では、「呂」は本来背骨の意味があり、「上呂」「中呂」「下呂」と三つ繫がっている点を取り上げた。方角が一定とは限らないとしても、上下に繋がっているのが自然な解釈だろう。この辺りでは上中下がほぼ北から南へ並ぶことが多い。上保、中保、下保などである。川の上流、中流、下流という考え方がもとになっている印象を受ける。

2 「郡上の両面宿儺」(2022年7月11日)では、「呂」が「背骨」を表すのみならず、もう一歩踏み込んで『説文』がまた「呂」の篆書体として「膂」の形を上げている点に注目した。

「呂」が「膂」に、また「膂」が「旅」に通じることがあり、「呂」「旅」を通字とみることもできる。「旅」ならば「軍旅」「振旅」など軍事を表し、飛騨川筋の上呂、中呂、下呂は軍の征伐ないし侵攻とその順序を表している可能性がある。

これらは「下呂」を漢語とみて解釈したものだが、これだけではその語源について見当がつかない。

今回はこの反省を生かし、これまで私があまり評価してこなかった説を紹介しよう。

「下呂」の由来として、東山道飛騨支路の駅名に「下留(しものとまり)」があり、これを音読して「ゲル」から「ゲロ」になったというものである。

私はこのように和語をわざわざ音読し、更に母音交替させるのは語源には遠いと感じてきた。今でもこの違和感を拭えない。

ここで郡上郡衙の「郡上(クシヤウ)」を取り上げてみよう。和語としてなら「こほりのかみ」辺りに読めそうだ。これがかって実際にどう呼ばれていたかは現状確かめようがない。これがいつしか「クンシヤウ」「クシヤウ」と音読みされ、更に有声音化して「グジヤウ」「グジョウ」と呼ばれるようになったとも解せる。

とすれば「下留(しものとまり)」から「下留(ゲル)」へ、「下留(ゲル)」から「下呂(ゲロ)」へ変わるのと同じ構造を持っていることにならないか。

和語をわざわざ音読みし、更に文字を変えるという不自然な作業と思えたものにも一定の根拠があるかもしれない。

かくのごとき手続きには、漢語の知識を持ち、かつある種の強制力を持つ者が背後にいたと考えざるを得ない。私は郡衙などの役人が関わっていたように思われるがどんなものか。                                              髭じいさん

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