八俣の大蛇(2) -その出身地

オロチはげにも恐ろしいが、その出身地となると幾つか説がある。もうはっきりした根拠は忘れたが確か大陸のオロチ族に関連するとか、本居宣長の出雲説を読んだことがある。
『日本書紀』では、本文と共に一書にもその出身を示す記事はない。『古事記』では「高志」である。『古事記』の仮名で「こ」は「古」(甲類)、「許」(乙類)の二種だが、「高」も「古」と同じく甲類の「こ」を表す仮名と考えてよさそうだ。つまりは、「高志」は「古志」だろう。
本居翁は、『古事記傳』によると、「高志は地名なり、和名抄に、出雲國神門郡古志とある是なり」で出雲説である。彼は取り分けてその根拠を示していない。「名義は風土記に、古志郷、即屬郡家、伊弉彌命之時、以日淵川築造池之、爾時古志國等到來而爲堤、即宿居之所、故云古志也」とし、『出雲風土記』を引いて「古志」の名義を述べるのみだ。
『古事記』には「高志」の用例が近所にもう一箇所ある。「高志國の沼河比賣」で、翁は「高志國は越國なり」とし、「越國」に当てている。彼は慎重な人物であるから、同じ「高志」に別の解釈をする根拠があっただろうに、残念ながら今では不明である。
しかしよく考えてみれば、『古事記』の近い所に「高志」が二例あり、特別の注が施されていないのであるから、これらは同じ場所を指すと解するのが自然である。
「沼河比賣」との関連が強いから、「高志」はいずれも「越(こし)」と考えるのがよいのではあるまいか。
これに対し、『出雲風土記』意宇郡条では「越の八口」で、同神門郡条の「古志」とは表記が異なる。この場合も「越」を「こし」と訓め、定説のごとく「八口」を「ヤマタノオロチ」と解せるのであれば、「越」は「越國(こしのくに)」と考えることもできる。
となれば、「越國(こしのくに)」に白羽の矢が当たりそうだが、皆さんはどうだろう。

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