八俣の大蛇(1)

今回は、あの恐ろしい八俣の大蛇に迫ってみよう。蛇を嫌う人が多いと思われるのに、敢えて書くには訳がある。
愚かな私は長年これを探してきたが、その実体どころか、どの辺りにいたのかもさっぱり分からなかった。それもそのはずで、殆ど何の手がかりも無かったし、その糸口を見つける力もなかった。これはその悪戦苦闘を振り返ってみて、中間報告をしてみようと思ったまでのこと。楽しんでもらえれば幸甚である。
まず、『古事記』によってその姿を再現してみよう。「その目は赤かがちの如くして、身一つに八頭八尾あり。またその身に蘿(こけ)と檜榲(ひすぎ)と生ひ、その長は谿八谷峽八尾に度りて、その腹を見れば、悉に常に血爛れつ」である。いやはや、まことに凄まじい。
天の原を追放された須佐之男命が、出雲の「肥の川上」に降臨し、年毎に娘を喫らうこの「高志のヤマタノオロチ」と戦う。これが『出雲風土記』では、一応諸写本に従うと、大穴持命が「越の八口(やくち)」を平らげたことになっている。この場合の「口(くち)」は一般に、「くちなわ(蛇)」「くちばみ(蝮)」を指すと考えられている。
須佐之男命の戦い方も興味深いが、彼がなんとか十拳剣で大蛇を切り散らし屠ったとなれば、安心して暮らせるようになってよかったなあと感じざるをえない。
ところが、大蛇の尾を切った時に、剣の刃が欠けたという。不思議に思った彼が確かめてみると、中に「都牟刈(つむがり)の大刀」があった。なぜか彼は追放された天の原に戻って、これを姉である天照大御神に渡す。後にこれを「草薙の大刀」と呼び、熱田神宮の神宝にしていたことはご存知の方も多いだろう。その後、その刀がどうなったのか、よく分からない。
はてさて、八俣の大蛇を探る旅の始まり始まり。

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