白山奥院(6)

「越南知」の名義をいくつかの観点から探ってきたが、今回は仏教から「南」に迫ってみよう。ここまで我慢強く読んでこられたのであるから、楽しめる部分も出てきたのではあるまいか。
仏教で用いられる「南無」は、サンスクリットのNamas、Namoが語源で、漢語の仮借字である。帰命・帰敬などと訳す。
「無」の篆書体はややこしく、現在使われている字形は隷書体である。音について言えば、『玉篇』『廣韻』は「文甫切」で、『説文』六篇上423「無」の段注ではやはり「文甫切」を採用している。『集韻』は「微夫切」であるから、仮名音で「ブ」「ボ」「ム」「モ」あたりだろう。「ム」「モ」はいわゆる「呉音」で、一般には仏教と共に伝わった最も古い漢語音とされる。
さて、私はサンスクリットの[nən]を漢語化する場合、仮借字を「南」ではなく、「難」を用いている印象をもっている。釈迦の異母弟であるNandaを「難陀」、比尼のNandiを「難提」と表記するなどだ。
大まかに言えばサンスクリットの仏典は主として北伝で、漢語訳され、まず北朝で大いに用いられた。『梁書』扶桑國條の「宋大明二年(458年) 罽賓國嘗有比丘五人 游行至其國 流通佛法經像 教令出家 風俗遂改」は、高句麗あたりを経由したとも考えられる。
だが、仏教は南朝で多岐にわたり展開した。列島の仏教がこの南朝から伝わったものを主流にすることは間違いあるまい。既に中国文化として摂取された仏教では音義ともに「南」を多用した。
従って「越南知」の「南」が仏教に関連するのであれば、南朝のそれであり、五世紀後半より後の話ではなかろうか。次回は「越-南無-知」の可能性に触れてみたい。

※「南」は南北朝から後漢朝に遡っても[nəm]であり、「南無」が「南」に仮名化するのは自然である。白山奥院(8)参照方。Aki/2006年7月12日

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