踏まれたり蹴られたり
我が家では、ずいぶん前から「踏んだり蹴ったり」という場面で、「踏まれたり蹴られたり」と言うことが多い。勿論、お客が居るようなシチュエーションでは「踏んだり蹴ったり」である。今となっては誰が言い出したのかは分からないが、これは既に合意事項の部類である。
私が郡上に初めて引っ越したときのことだと思う。「行く」と言う場面で、「来る」と言われて戸惑ったことがある。確かに幾らか違和感があったが、自分中心に考えるのではなく、相手の立場に立って話していると理解して、何とか落ち着くことができた。
この方言は、自分中心に話をすることを憚った時代の長かったことを示していそうだ。だが、現在ではある世代以上で残るのみである。
ところで、私は小学校の運動会の行進だったか、右手右足、左手左足を同時に出して歩いた事をかすかに覚えている。この歩き方が決して悪いわけではないが、何だか決まり悪い思いをした。能や狂言、歌舞伎や郡上踊り等でもこの形でやるから、伝統的な歩き方だったと思われる。私は、勝手にだが、泥田での歩き方に淵源すると考えている。だとすれば、体の中に伝統文化が宿っていることになり、決して恥ずべきことではなかったと思うのは歳を重ねた今だから言えることである。
「踏んだり蹴ったり」も、自分中心ではなく相手が自分にそうすると考えれば、これらと同様に長い間伝えられた表現方法になるだろう。なぜ私がこれだけに楯突くのかよく分からない。
身の回りに時代の移り変わりが感じられるという話。