エリート教育

昨今、公立学校でも小中一貫教育がぼつぼつ始っている。じっくり教育に取り組める利点がある。公立の中学校でいじめや荒れた環境にあるものを避けられそうだし、受験教育にも強いとなれば、競争が激しくなるというものだ。
中部圏にも無論、大学受験に強い私学がある。これらを更に超えるエリート養成学校を設立する動きが現実化しようとしている。中高一貫の全寮制で、全国各地からエリート予備軍を集め、優秀な講師を招き、いわゆる全人教育を施して「真のエリート」を養成しようというものらしい。
私は、エリートの厳密な定義を知らないが、社会に有益な人物を養成しようということに異論はない。自らを選ばれた者として充分自覚し、粉骨細心、あらゆる分野で社会に貢献してくれるならば何ら問題はない。
ただ、この学校に入学できても、学費その他の費用が年間数百万かかるという。貧乏人は相手にしないというのは、貧乏くさい話である。国立大学ですら既に学費が高くなっており、まして私立の大学となると相当な収入を得ている人でも金を工面するのは楽でない。一人っ子ならまだしも、二人三人となると途方もない。
高校までにこれほどの費用がかかるとなると、高学歴は田舎の田畑を売ってでも子供に投資する覚悟のある人や、代々の財産をもつ裕福な家系の者などの「勝ち組」に偏っていくような気がする。
子供は子供である。どんなエリート教育を受けようとも、彼等は個人として現実に「金もない、実績も無い、地位もない」状況にある。学校の成績で社会をリードできるはずもない。まず自ら一人立ちした上でしか貢献できないのである。
貧富の差がそのまま学力に反映していくのは、停滞した社会に特有な環境であり、戦後営々と積み上げてきた「民主教育」の終焉につながりかねない。まともに努力しさえすれば、誰でも個人の力で家を持ち、それなりに尊敬されて生きられる社会を作るのが先決ではあるまいか。