八俣の大蛇(5)-八俣のこと-

「八俣」はまた『書紀』で「八岐」と表記される。八俣は八つに分かれている意味で、俣が八つあるということではないらしい。
迂闊な私は、「俣」が八つなら頭は九つでよいではないかと考えてみたことがある。念頭に「九頭龍川」があったからだが、少々強引であったらしく、『古事記』では「身一有八頭八尾」だからどうしても頭は八つだ。
但し、「八頭八尾」は『古事記』の解釈であって、絶対とも言えない意味がある。『書紀』本文には「而蔓延於八丘八谷之間」とあるから何だか腑に落ちない。「八谷」であれば、「八丘」でも「九丘」でも大した違いはないように思える。
この拘りに、全く意味がないという訳でもない。「越(こし)」を代表する白山にしても立山にしても、本地仏の一つが十一面観音で随分頭が多い。
『出雲國風土記』では「大穴持命 越八口平賜而 還坐時」とある。「八口」を「八國」とする解がある。前者はまさに「口(くち)」だが、後者は「囗」で国構えだから、この解は必ずしも無謀な説という訳ではなく、「口」を「囗」つまり「國」と考えればそれなりに筋が通っている。「口」と「囗」は只でさえ間違いやすい上に、何らかの意図があれば容易に変えられてしまう。
ここで一部謎解きをしてしまうのはルール違反のような気もするが、私はこの「八口」は後の形で「八囗」つまり「八國」が原形ではないかと考えている。この国々が悪さをした。毎年「生口」を奪い、集荷した後、大市場である中国へ送ったのではないか。
あるいは船首と船尾に八俣の大蛇を飾った船に乗って、力ずくで奪っていったのかもしれない。
これが負の遺産として伝承されて「八口」となり、「八俣」の大蛇という形で神話化したのは、新政権の正当性を主張するためであったと考えているのである。