八俣の大蛇(6)-オロチの音義-

一応、「高志」が「越(こし)」に落ちつき、「越」にそれなりの実態があるとすれば、いよいよ「オロチ」に取り掛かる段取りである。
『書紀』では「大虵」と漢語表記されているが、『古事記』では「遠呂智」という仮名表記である。『記』の「遠呂智」脚注に「此三字以音」とあり、「遠-呂-智」という音仮名であることに疑問の余地はない。
「遠」は、「園」と同様に呉音で「ヲン」で、声母の「ヲ」が音借されていることは間違いあるまい。ただ、なぜ「越」ではなく「遠」が使われたかは、「八俣の大蛇」の成立とも関わりがありそうで、よく考えてみなくてはならないテーマである。
「呂」は機能から考えて、私は、本居翁の「やすめ辭」にあたると解している。『古事記』に「美呂波」、『萬葉集』に「ころく」(0654)など語中に使われる「呂」の用例がある。但し、この点については充分議論する必要があろう。「呂」は一般に「確実性」や親愛を表し、語調を整える接尾語の場合が多い。『萬葉集』では東国方言の終助詞で使われ、「よ」などと同じである。『古事記』では「呂」の他、「侶」も同音で使われる。「呂」「侶」は『萬葉集』においても同音で、乙類の「ロ」である。
「智」は清音の「チ」である。「加賀智」の脚注に「此謂赤加賀知者」とあり、ここでも「智」は「知」とほぼ同音と考えてよい。
従って、「遠呂智」は一応「ヲロチ」と復元できる。今回は、ここであらかじめ私の結論を述べておこうと思う。つまり、「呂」は語中に挟まれた「やすめ辭」であって、「遠呂智」は「遠智」であり、更に「越智」「越知」に遡ることができるというものだ。