白山奥院(8) -お詫び-

勉強が至らないから、基本で間違える。
私は白山奥院(4)で、『玉篇』で「南」は「奴含切」、『廣韻』『集韻』では「那含切」となっており、少なくとも唐初期から南北朝あたりまで[nən]であると言った。だが、厳密には韻尾は[m]で[nəm]とすべきであり、[nən]ではなかった。
同様に、『説文』段注はやはり「那含切」で、『詩經』に遡っても邶風・燕燕の「音南心」、小雅・鼓鍾の「欽琴音南僭」などを引き同様に[nən]であるとしたのも誤解に基づいている。やはり韻尾は[m]で[nəm]とすべきであった。
これからすると、「越南知」及び「越南智」は南北朝から後漢代に遡っても韻尾を[m]とすべきである。つまり漢語音に遡っても、「南」は仮名音で「ナン」ではなく「ナム」であり、「越南知」を「ヲナムチ」と読むのが原形と考えられよう。
従って、平泉寺白山神社奥院の「越南知」、長滝寺白山神社奥院の「越南智」は共に「ヲナムチ」を原形にしており、それぞれ「オナンジ」「オナンヂ」は「ヲナムチ」からの音変化と考えられる。
だがこの「南」が、仏教に関連するのであれば「越-南無-知」から「越南知」へ、漢語の意味を保っているのであれば「越知」が南方出自を誇っているなどとした点までは変える必要がないと思う。
「ヲナムチ」が原形で、「大穴牟遲」「大己貴」「大汝」などが和語によって物語性が加えられたとする点については、次回述べることにする。
「書く」というのは、まことに恐ろしい。間違いが間違いとしてそのまま残り、愚かさが白日の下に晒される。だが、間違いも自分のやったことであるから納得するほかないとしても、これで萎縮してしまうわけにもいかない。
申し訳ないとは思いながらも、よく考えてみれば、誤りの原因を探り新たな視点から見直す機会が得られたことをむしろ感謝したいぐらいである。