隅田八幡神社 人物画像鏡(1)

八俣の大蛇(7)で、和歌山県隅田八幡神社の人物画像鏡にある「日十大王」は「日夲大王」の略体とも読めそうなことを述べた。「日夲」は「日本」であり、日本という国号が使われている最も初期の用例になる可能性があるので、もう少し分かり易く書けというお叱りがあった。
この鏡を作ったのは、「斯麻(シマ)」という人物である。彼が「開中費直穢人」及び「今州利」の二人等を遣って原材料である「白上同」を取り、この鏡を作ったと記しているから疑問の余地はない。就中、「穢人」を「濊人」とすれば「濊人今州利」とも解せる。
ただ、この「斯麻」という人物が誰なのかは定説がないように思う。私は、「日夲大王」という国家名及び國主を書いていることから、贈り手もやはりこれに見合う人物を想定せざるをえない。
1971年7月、韓国公州で百済武寧王陵が発掘され、王の墓碑銘が発見された。誤解を避けるために全文を引用しておく。
「寧東大將軍百済斯麻王 年六十二歳 癸卯年(523年)五月丙戌朔七日壬辰崩 到乙巳年八月 癸酉朔十二日 甲申安厝 登冠大墓立志如左」
この中で、「斯麻王」という記載に注目してもらいたい。私はこの斯麻王が「日夲大王」に鏡を贈ったと解している。同名の人物であり、他の史料状況とも矛盾しないからだ。
無論これだけでは「日十」を「日夲」の略体であることを実証したことにはならないが、指し示す史実に光明が見える。
「夲」(『説文解字』十篇下076)は『玉篇』で「丑高切」、『廣韻』で「土刀切」だから、仮名音でいえば「トウ」ぐらいだが、例えば「奔」あたりの転注または略字とみれば「本」と類似音にはなる。
武寧王が実在の人物であるから、「日夲大王」もまた実在であり、「日夲」つまり「日本」という国家もまたこの時期実際にあった証明に使えないかと考えているのである。