「利歌彌多弗利」

題からすると、一体何のことか分からない人が多いと思う。年来、私の念頭を離れない名前であるので勘弁してほしい。
今日の話は長屋王木簡に登場する「珎努若翁」という人物からはじまる。「珎努(ちぬ)」はさておき「若翁」をどう訓むかだが、「若王」の当て字とみて「わかきみ」「わかわう」辺りとする説、「わかみたふり」と読む説が知られている。
後者の「わかみたふり」説を紹介しよう。これは『隋書』倭國条に登場する倭国の「利歌彌多弗利」という太子が記録されていることに関連する。
1 まず万葉仮名で語頭に[r]音の来ることがないから、「利」は「和」の誤りとして「利歌彌多弗利」を「和歌彌多弗利」と解する。
2 平安時代には、皇統につながる若者を指す「わかんとほり」があり、その原形を「和歌彌多弗利」とする説が古くから「有力」である。
3 鎌倉時代に成立した『字鏡抄』という辞書で「翁」に「たふれぬ」「たふれす」という訓がついており、これらから「若-翁」を「わか-たふれ」から「わかみたふり」に遡ることができる。
以上が、「わかみたふり」説の概略であると言ってよかろう。だが、私は「利」を「和」の誤りとする第一の前提に疑問を持たざるをえない。心血を注いで編んだ歴史書の字句を、充分な証拠を示さずに、「誤り」としてこれを簡単に改定してしまうことは許されない。
『隋書』倭國条は倭国について書いているのであって、日本国について書いているわけでない。史料の重要性からすれば、まず倭国には太子名に[r]を語頭に立てて呼ぶ音韻体系があったと考える他ない。仮借ないし仮名音だろうから、例えば「リカミタフリ」あたりが考えられる。後になって日本国で「わかんとほり」という呼び方が生れたのは、あくまで「利歌彌多弗利」に関連すると考えるのが平凡な理性というものである。

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