日本語の「乱れ」

子供たちがメールで、絵文字などの記号を駆使し、互いに意思を通わせている。難しい漢字や、複雑な概念を使いこなす必要のない仲なら、それなりに楽しくやればよい。彼らのコミュニケーションに水を指す気などあるはずもない。
私がこんな大それたテーマを掲げるには訳がある。今世間では、高尚で難しい言葉がたっとばれ、それを使う者が知恵者といわれる。
また広く人々に知らせるべき施策を、難しいカタカナ文字やこなれていない英単語などを使って煙に巻く政治家がいる。
つまり、現在の政治の世界や世間の風習では、どこのだれにでも分かる言葉を使わず、高尚で難しい言葉を使いたがっているということだ。
これなど、若い時代に好成績であったものが、官僚としてたいした事もせずそのまま出世したり、政治経済面でも自らたたき上げて成り上がった者ではなく、二世や三世が実績もないのに後継者として地盤を受け継ぐなどした為に、自らを知恵者や賢者として見せる必要があるからだろう。
だが、これは政治の目的や公利に反することである。実行もできないのに、難しい言葉を流暢に使ったところで、私たち庶民には無用の長物である。火急の諸問題がなく順調にいっている場合であれば、どんな凡庸な者が政治をおこなっても大して変わりはない。としても、不急のことに力を入れるべきではない。
増して財政が破綻し、外交問題を殆ど解決できない現在では、国民の理解を力にするほか道があるまい。
言葉だけで互いに理解するのは、原則として、不可能である。だからこそ世代を超えた、分かりやすい言葉が求められる。まあ誰であれ、自らを有能で賢者であることをアピールするために、歯の浮くような言葉を使うのは避けたいものだ。

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