白山奥院(9)

今回は『萬葉集』の大国主命に登場願おう。たいそう複雑な神様であるから、少しずつでも整理しながら書くことにする。
まず名前だけでも「八千桙」「八千戈」「大穴牟遲」「大己貴」「大汝」などと記されている。『萬葉集』だけでは「八千桙」「八千戈」の出所はよく分からないが、武神らしい命名である。これに対し、「大穴牟遲」「大己貴」「大汝」はどうやら固有の神名らしい。『古事記』が「大穴牟遲」を、『日本書紀』が主に「大己貴」を、白山が「大汝」の表記を用いていることは今までも説明した通りである。これらが『萬葉集』にすべて載っている点を確認するのも無駄にはなるまい。
『萬葉集』で「神代(かみよ)」の用例中、国土を造りこれを主宰する神はこの大国主命と少彦名命しかいない。但し、人麻呂の歌で登場する「天照日孁(あまてるひるめ)尊」という用例があるものの、これは固有名というより「天照」を形容句とみる方が自然な気がする。
これらの呼び方に加え『古事記』では「八千矛神」「葦原色許男」「宇都志國玉」、『出雲國風土記』では「大穴持」、『書紀』一書では「大國玉神」「顯國玉神」などが知られている。
これらの内、『書紀』一書に「大己貴 此云於褒婀娜武智」とあることから元来「オホアナムチ」であり、「ア」が脱落して「オホナムチ」になったとする説が一世を風靡した。
だがこの説は、「オホアナムチ」を「素戔嗚尊六世の孫」としており、潤色が激しい。
確かに『萬葉集』に「大汝 少彦名の いましけむ 志都の石室は 幾代經ぬらむ」(0355)とあるが、「オホアナムチ」を『出雲國風土記』にある「大穴持」の「穴」と結びつけて固有名とするのは物語性が強く、新たに創作されたものとも考えられるのである。
神代で具体性を持つ神は大国主命と少彦名命しかいない。これは、神話と歴史の接点を「ヲナムチ」に求めることが可能な条件の一つになるだろう。

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