季節は巡る

今年は、庭の柿の木が殆ど実を付けずに葉が落ちてしまった。葉が大きいだけに、落ち始めると一度に狭い庭を覆ってしまう。
最近、ここらでも焚き火が憚られる風潮があり、葉の処理に困ってしまう。適量であれば、ゴミ袋に詰めて回収してもらえるが、ゴミとして出すことに違和感があって、庭の片隅に集めている。その下には去年の葉っぱも朽ちかけてあったから、同じように感じて積んだに違いない。こんな年まで生きるはめになったので、このような景色を何度も見てきたように感じてしまう。
が、そうでもないらしい。数年前までは断固として、必ず庭でサツマイモを中に入れて焚き火をしていたものだ。更にその前は、七八年間郡上にはおらず、こんな穏やかな気分で生きてはいなかった。
大袈裟に言わずとも、いまのところは、順調に季節が巡っている。私にとって、春夏秋冬の区別がはっきりしていることは、有り難い贈り物である。
決して裕福とは言えないが、それなりに、夏が終われば秋、秋が終われば冬を楽しむことができる。季節の移り変わりが、体の中で、生きる条件として備わっている気がしている。
今年も、あちこちで熊が出没しているらしい。ニワトリを狙った親子がおり、やむを得ず親熊は撃たれ、小熊は大学へ送られて飼われることになった。熊が出るとなると、幼い子供を持つ親は特に心配が多かろう。こんなことが風物詩になるのはおかしいが、疲弊した田舎では、やむを得ないのかも知れない。
私もここで葉や熊のように朽ちていければよいが、よるべも無いし、来年も穏やかに柿の葉が落ちるのを鬱陶しいと感じられるかどうか分からない。

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