蟷螂の斧
蟷螂はカマキリだから、斧の威力も大したことはなかろう。このコラムの題を「蟷螂の斧」にしようか「ドン・キホーテ」にしようか迷ったけれども、私の人生を要約する言葉としてはそれほど違いなさそうだ。
割合、大言壮語しないようにはしてきたつもりだが、言葉を使う以上これに縛られることは避けられない。若い時には、あれもやりたい、これもやりたいと思うもので、そのどれについても自分一人の人生ではやりきれないことに気づかなかった。
何故これほど自分が愚かなのか、長い歴史を持ちながら人間はなぜこんな理不尽な関係で生きていかなければならないのか。遠回りであっても、まず自分を知ることが日常の柱であったし目標でもあった。
歴史学、哲学、経済学、言語学などの本を系統立てず手当たり次第に読み、考えてきた。だが、自分なりに納得できる水準すら得られないまま、いたずらに時間が過ぎていった。
だがこの歳になると、その一つでもやり遂げるのが難しいことを身にしみて分かってくる。愚かにも、やっと今頃になって分かってきたのである。今の今まで能力をはるかに超えた分量を自分に課していたことになる。
そんな風で、笊からこぼれるように、目指したことの殆どが抜け落ちていくのを座視する他なかった。
今では人生の第四コーナーを回ってしまい、食っていくことすら思うようにならないが、この生き方を急に変えることも出来ない気がする。
分からないことがあれば、若い時のように棚上げせず、直ちに恥を恐れず人に聞く。誤りがあれば、断固としてこれを直す。全てを知ろうとしないで、自分が愚かであることだけを旨とする。まあ、こんなところかな。