白山奥院(11) -結語-

このシリーズの締めくくりとして、今なお「越南知(オナンジ)」「越南智(オナンヂ)」が白山信仰の中で生きていることを書いてみたい。
途中、「南」の音韻に誤りがあり、「ヲナムチ」に至ることすら難儀であった。紆余曲折の末、なんとか復元できたのではないかと考えている。『日本書紀』の「大己貴尊(ヲホナムチ オホアナムチ)」、『古事記』の「大穴牟遲命(ヲナムヂ)」がともに「ヲナムチ」を原型にしているとすれば、この語の分析にも意味があるように思う。
まず平泉寺白山奥院が「越南知」、長滝寺白山奥院が「越南智」と表記されていたのが驚きであった。これが越知山では「大己貴命」となっているから、それぞれの表記を検討することになった。
たまたま私は漢語音の勉強をしており、それぞれが「越知」「越智」から、さらに「越」自身に行き当たったというわけである。
これは「大己貴命」が南方の出身であることを暗示しており、歴史学との接点になりうるのではないか。この地が「越前国」であり、濃厚に「越」との関わりが考えられることも満更でない気がする。いわゆる『魏志』東夷伝倭人条で、堅実な陳寿は倭人の中心勢力を越種だとみている。
私は、日本史では大まかにこの越種から「天孫族」に政権が移行しており、記紀の「国譲り」を実態のある史実と考えている。
『日本書紀』の「大己貴尊(オホナムチ)」、『古事記』の「大穴牟遲命(ヲナムヂ)」の名義が殆ど議論されない点を考慮して、あえて「越南知(オナンジ)」「越南智(オナンヂ)」からその形・音・義に迫ってみた。
単なる俗説として一蹴される恐れもあるが、何らかの波紋を起せていれば、私の力ではなくパソコンの力と言ってよかろう。