人物画像鏡(12) -略体の必然性-
今回は、画像鏡の略体について考えてみたい。
それほど字画も多くないから、「日夲」を「日十」と略体にするのは誤解される恐れがあり、「十」にする必然性に疑問があると考えることもできる。
確かに「銅」「鏡」をそれぞれ「同」「竟」と略体にするのは、八画の「金」を省略できるし、一瞬分からないことがあっても、この銘文がまさに銅鏡の上に記されている文字であるから別の意味に誤解される恐れは殆どない。これに対し、「夲」を略体の「十」にするのは、時間がたてば誤解されるかもしれない。
だが私は、「日十」を仮に「日(太陽)が十個」と解されたとしても、やはり「日夲」に行き着くと考えている。
皆さんは、「羿(ゲイ)」と言う人物をご存知だろうか。一説では中国の五帝の一人である堯の時代にいた弓の名手である。彼は『論語』憲問篇に「羿善射」とある人物で、まあ英雄と言ってよかろう。
中国の神話では、もと太陽が十個あった。その太陽の出る所が湯谷で、「十日」がその上にある「扶桑」から次々と昇ってくると言う。彼は命じられて十あった日を射て、見事そのうち九日を射ち落とした。
『山海經』の大荒東經では、「湯谷上有扶木 一日方至 一日方出 皆載於烏」とあって、十日全ての太陽に「烏」が載っていたというのがまた興味を引く。
『説文解字』は「榑 榑桑 神木 日所出也」(六篇上199)で、残った「一日」もまた神木である扶桑の木から出ると解している。『玉篇』及び『廣韻』でも『説文』の説を採用しているから、これは伝統化した解釈である。
「日十」は東にあって扶桑の木が立ち、あの「羿」がその内九つを射て、残った日の出る国だと言う意味である。つまり贈る相手を扶桑の木から太陽が昇る国「日夲」とし、これを「日十」と略体にしても誤解を招くことはないと考えたことになる。