金印(4) -「委奴」-
「委奴」を「委-奴」と区切って読む点について、音韻を中心に検討してみたい。
『漢書』地理志に「樂浪海中有倭人 分爲百餘國 以歳時來獻見云」という文があり、著名な学者三人が注を施している。
まず魏の如淳は「如墨委面 在帶方東南萬里」と云う。彼は「倭」が「委面(顔のいれずみ)」から来ていると説いている。「倭」が「委」とほぼ同音とし、「委」から「倭」を解釈する。
臣瓚(しんさん)は「倭是國名 不謂用墨故謂之委也」と注し、「倭」が国名であり、入れ墨をするから「委」というのではないと述べる。
顔師古は初唐の大学者で、やはり「如淳云如墨委面葢音委字耳 此音非也 倭音一戈反 今猶有倭國」と注を施している。この中で彼は、「委」と「倭」の音が異なっているとして如淳説を廃し、「倭音 一戈反」と解している。
師古の説く「一戈反」の声母「一」につき、『玉篇』は「於逸切」、『廣韻』は「於悉切」で、『説文』段注は『廣韻』を採用して「於悉切」とするから、まあ「於」を抽出できるだろう。
韻母の「戈」は『玉篇』『廣韻』共に「古禾切」で、段氏もこれを採用している。『釋名』が「戈 過也」とするから、「過」の類似音と考えてよい。
これらから、「倭 一戈反」は仮名音で「ワ」あたりを復元できそうだ。他方、師古が「委」音をどのように解していたのかはっきりしないが、『玉篇』の「於詭切」、『廣韻』の「於爲切」からすれば「ヰ」あたりで、「ワ」は考え難い。
以上から、私は「委-奴」と分けるようになった根拠を、
1 まず「委」を「倭」の略体として、「倭」と解する。
2 臣瓚・師古説に従い、この「倭」を「ワ」と読み「倭國」とする。
3 「倭國」と読むことによって「奴」が「委」から自由になり、南方にもあったとされる「奴國」にあてられるようになった。
と推測している。だが、師古の音解釈には疑問がある。と言うのは、『玉篇』が「倭 於爲切 順皃 烏禾切 國名」とし、『廣韻』もこれを踏襲するからである。段氏も「於爲切 音轉則烏何切」とし、「倭」が本来「ヰ」であり、音転して「ワ」になったと解している。つまり、彼は『説文』で「倭」を「於爲切」とするから、後漢代には、「委」「倭」が「ヰ」でほぼ同音であったと解していることになる。
いつごろこの音転が起こったのか不明だが、金印の「委」が「倭」の仮借字であって、「委」に「ワ」音がないことから、地理志の「倭」音については如淳が正しく、段氏の云うように後漢代前半でもやはり「ヰ」だったと考えてよかろう。音転した時期の推定は機会があればということで。