金印(8) -「委奴國」と「倭奴國」-

今回は、金印の「委奴國」と『後漢書』光武帝本紀・中元二年条の「倭奴國」の関係を整理してみよう。
本紀に「倭奴國」とあり、これに与えた金印が「委奴國」である以上、「委」が「倭」の略体であるのみならず仮借字でもあることは間違いあるまい。
一般に仮借字は同音ないし類似音の別字で代用するものを言う。その用法は幾つかに分類できる。
仮借の典型といえば、「漢匈奴惡適尸逐王」の「惡適尸逐」など外国語を漢語で表すことが思い浮かぶ。
また金石文ではスペースの問題から、偏を略することも多い。「維」を「隹」、「作」を「乍」などにつくる。これを単に略体として、音を無視することはできない。音の無い言語はないのである。この場合それぞれ同音を前提しているだろうが、類似音であっても問題はない。すでに人物画像鏡のシリーズで「銅」を「同」、「鏡」を「竟」とする例をみてきた。金石のみならず、この他にも『三國志』魏書に「渡」「度」、「俾」「卑」などの例がある。
字形の観点から見ると、例えば「隹」を声符として意味符を付け加えれば、「維」「誰」「進」などの形声字になる。
「委」「倭」がほぼ同音であることは既に述べたので、ここでは更に「声調」について触れておきたい。漢代に四声が完備していたと考えるのは一つの仮説に過ぎないとしても、この時期に声調が重要な役割を持っていたことは否定できまい。
『廣韻』によると、「委」は「委 委委佗佗 美也 於爲切」(上平声)、「委 委曲也 亦委積 於詭切」(上声)であり、『説文』で段氏は「委 於詭切」を採用している。
また『廣韻』で「倭」は「倭 慎皃 於爲切」(上平声)、「倭 倭墮 烏果切 又烏弋切」(上声)だからほぼ「委」に対応しているが、段氏は「倭 於爲切」を採用する。
つまり段氏は「委 於詭切」、「倭 於爲切」とし、韻母が区別しにくくなっているとしても、「委」「倭」の声調は後漢代に異なっていると解している。
だが『詩經』小雅・四牡1章の毛伝に「倭遲 歴遠之貌」とあり、音を「倭本又作委 於危反(『廣韻』上平声)」とみることもできる。だとすれば金印の「委」は上平声で、「委佗」から「歴遠之貌(はるかに遠いさま)」の義を持つとも考えられる。
すでに金印(5)で「委奴」の義を三つ考えてきた。声調を考慮して、これらに「歴遠之貌」を加えるべきかもしれない。