金印(14) -「倭」の語源-

この段階で「倭」の語源を探るというのは時期尚早の感を否めないが、問題点を整理し、方向を定めようとするのも意味がないわけではない。語源に関しても、様々な解釈があり、定着したものはないと言ってよかろう。
従来、語源を探るには大きく二つの方法が採られてきた。
一つは、表記された「倭」という漢語音から探ろうとするもの。つまり、「倭(ワ)」が倭人の原語を表す仮借字として選ばれたとし、「倭語」ないし「和語」から探ろうとする。
『弘仁私記』序文に「倭人自ら、我(わ われ)と称した」とし、『釋日本紀』(卜部兼方)巻一でも「或は云う、我を称える音を取りて、漢人、名とするところの字なり」などと、「倭」を「ワ」と読み、倭人の自称を種族名及び国名にしたとするもの。日本国の側からみて、前漢代に遡り、「倭」を「ワ」と読むことが前提されている。『古史通或問』(新井白石)の「オホクニの音訳」は、大胆であるが、根拠に乏しい。
一つは、「倭」の義から説くものである。漢人からみた定義と言えようか。『説文』の「倭 順皃」、『日本書紀纂疏』(一条兼良)などから「随う」意とする。これは本居説に繋がるだろう。この他、「小柄な人々」(木下順庵)などもこれに入る。
この仮説では、金印の「委」字を「倭」の仮借字として、『漢書』地理志の「倭人」を「倭(ヰ)人」と読む。もう少し「委」音を厳密に分析すべきところであるが、別の機会に譲るとして、私は「倭」の語源を探るには次の三通りの視点が必要であると考えている。
1 「倭人」は「倭(ヰ)人」だろうから、「倭(ヰ)」の語源
2 「倭奴」「委奴」は仮借字だろうから、これ自身の語源
3 「倭(ヰ)」が音転した後の、「倭(ワ)」の語源
1については「倭(ヰ)」音に執着する必要がある。更に「倭人」の習俗を抽象し、大陸及び列島でこれに対応する種族を検出したのちに、再度検討する。
すでにこれに加えて如淳の「如墨委面」の他、「匈奴」「委奴」の対比、「奴を委ねる」「倭遲」などの可能性を挙げてきた。
2は、「倭奴」「委奴」が切り離せない句と考えられるので、音から言えば越系の「越」に辿れないかなどを、義からは「伊都(これみやこ)」などを更に幅広く検討する必要がある。
3は、「委」の先秦古音をまた「カ」「クァ」などと考えられるのであれば、頭子音の脱落による中国側での音変化や、倭人の主たる勢力に交代があった事と関連しないかを慎重に検討する必要がある。「我(われ)」とする伝統化された説も排除できないだろうが、卑弥呼から倭の五王まで呉系であることを忘れてはならない。いずれにしても、音転した時期の確定が急がれる。

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