八俣大蛇(11) -八大龍王-

星宮神社から少し登ったところに「矢納が渕」があり、八大龍王がいることになっている点は「左鎌」で紹介した。八大龍王がいるというのは修験者の意見であるが、奥がありそうなので、もう少し探ってみよう。
八大龍王は仏法を守る善神として尊崇されており、私は、法華経序品第一の「八龍王」を根拠にするのではないかと考えている。これからすると修験者は難陀龍王から優鉢羅(うばら)龍王までの八龍王すべてを矢納が渕の主にあてていることになる。これは大雨や日照りを自在にあやつる強い力を持たせるためであって、一つの解釈に過ぎないかもしれない。
私は九頭龍に関して、八大龍王のうち第四の和脩吉(わしゅきつ)龍王に注目している。和脩吉は多頭とされるが、中国で九頭になったと考えられる。
芦ノ湖の九頭龍は毒龍として害を及ぼしたとされるものの、上がってきた時に宝珠、錫杖及び水瓶をささげて現われたとも伝承される点、及び万巻上人が登場することをあわせれば仏法との関連が濃い。
戸隠神社の九頭竜社に主祭神として祭られている九頭龍もまた、戸隠が修験の山であるのに、そのまま祀られている。
但し、九頭龍は密教の守護神として八世紀以後登場するのであって、泰澄が白山山頂で啓示をうけた九頭龍は単なる伝承に過ぎないと考えることもできる。
法華経が列島に伝わった時代を考証すること自体簡単ではないが、今のところ私は、六世紀末には国家仏教に近い形で受け入れられたと考えている。これでよければ、密教伝播以前に列島の所々で水神としてその姿を見せていたのではないだろうか。
八俣大蛇とこの九頭龍との関係も一筋縄ではいかない。私は、互いに敵対する場合と大蛇が九頭龍に昇華する場合に収斂するのではないかと思う。
前者は八郎潟の八俣大蛇と激しく闘う九頭龍を、後者は泰澄が白山山頂で啓示を受けたそれを想定している。
この時点で九頭竜川の原形をここに求めるのは早計だとしても、白山信仰との繋がりから、私は法華経と九頭龍が何らかの関連を持つと想定せざるを得ないのである。

前の記事

左鎌