不老長寿

人は長生きしたい、若返りたい、若く見られたいという思いが強いらしい。テレビを見ていると、化粧品や育毛剤、かつらや染髪剤などを含め、関連しそうなのコマーシャルがかなり放映されている。
昔の人も同じだったようで、六国を平らげ戦国時代を終焉させた秦の始皇帝は徐福に不老長寿の仙薬を探してくるよう命じる。徐福は童男童女三千人を率い、蓬莱山にあるという仙薬を探しに出たが、戻ってこなかったと記されている。
実際のところ、徐福がどこへどのように航海したのか分かっておらず、日本列島や韓国の至るところに彼の伝承が残っている。ここでは彼の足跡を特定しようというのではなく、伝承をもとに、不老長寿がどのように理解されたかを示したいのである。
「浦島太郎」はご存知だと思う。蓬莱山にあるという龍宮へ三年間行っていた浦島子が、もとの浜に帰ると三百年たっていた。この場合、龍宮とこの世では時間の基準が異なっている。
また各地に残る「八百比丘尼」系の話では、龍宮からお土産にもらった刺身みたいなものを食べて八百年生きることが多いから、龍宮の食べ物に不老長寿の効果があったことになる。越前の敦賀に伝わる仙人の話で、一日碁を見ていただけなのに家に帰ってみると三年たっていたというのも、仙人のなつめを食べるわけだから、なつめが仙薬だったことになる。
これに対し「越知」は既に言及したように、本居翁が「をちかえる」「若返る」とするから、取りあえずは「越知水」を若返る水という解釈もできる。極端な話では、欲張り婆さんが若返る水を飲みすぎて赤ん坊になってしまったというものすらある。
「桃太郎」にしても同じで、爺さん婆さんが若返るわけだから、いずれにしても時間の針が逆に回る話になっている。
徐福が実際に蓬莱山に着いて、仙薬を探し得たのかどうか分からない。時間の基準が異なる土地を探すことは難しいだろうし、時間の針が逆に回ることもまあ有り得ない。彼も大変な仕事を引き受けたものだ。
私について言えば、できれば寸法通り生きたいと考えており、長生きや若返ることに興味はない。ただし、ひそかにこれらを期待して、薬用品や化粧品を使うことまで邪魔するつもりはない。