好太王碑文(5) -「來」再論-

前々回「倭以辛卯年來渡海」で、「來渡」を複合した動詞とみることが可能ではないかと述べた。全く根拠がないわけでもなく、大まかにでも説明しておくのが筋だと思われるので、概略を示しておく。
碑文中に「行」の用例がないので、「往」「來」を取り上げてみる。「由來朝貢」(03)、「自此以來」(04)、「自上祖先王以來」(13)は既に取り上げたので言及しない。
01 「永樂世位 因遣黄龍來下迎王 王於忽本東岡 黄龍負昇天」(前紀)
02 「又躬率往討叵富山負山 至鹽水上 破其三部洛六七百」(永樂五年)
03 「百殘新羅 舊是屬民 由來朝貢 而倭以辛卯年來渡海 破百殘□□□羅 以爲臣民」(永樂五年)
04 「自此以來 朝貢論事」(永樂八年)
05 「教遣歩騎五萬 往救新羅」(永樂十年)
06 「倭賊退口口口口口口口口來背急 追至任那加羅」(永樂十年)
07 「九盡臣有來」(永樂十年)
08 「昔新羅安錦 未有身來朝」(永樂十年)
09 「東夫餘舊是鄒牟王屬民 中叛不貢 王躬率往討」(永樂二十年)
10 「又其慕化隨官來者 味仇婁鴨盧 卑斯麻鴨盧」(永樂二十年)
11 「新來韓穢沙水城國烟一 看烟一」(後紀)
12 「但取吾躬率所略來韓穢」(後紀)
13 「自上祖先王以來 墓上不安石碑」(後紀)
「黄龍來下迎王」(01)は「黄龍-來下-迎-王」と考えると、更に「來-下」と分解できそうだ。『爾雅』釋言第二「降 下也」(100)および『廣韻』上聲巻三「下 降也」から、「來」「下」を共に動詞とみることができるだろう。
「倭賊退口口口口口口口口來背急」(06)は欠字があり難解だが、「來-背急」とも読める。だとすれば、「背」をはさんで、「急」を動詞とみることができるのではないか。
「九盡臣有來」(07)では、「來」が後にくるものの、「有-來」で動詞が複合されている。
この他「來朝」(08)は「來-朝」で補語を伴い、「來-者」(10)「新來-韓穢」(11)「略來-韓穢」(12)では被修飾語を伴っている。
また「往」の用例で「往討」は「往-討」(02、09)、「往救」は「往-救」(05)で、それぞれ複合した動詞とみることができる。
従来、「倭以辛卯年來渡海」を「倭以辛卯年來 渡海」と文を切り、「來」を単独に読む場合が多かった。だが以上の用例からすると、動詞として単独に使う例が碑文中にないわけだから、「倭以辛卯年來渡海 破百殘」とし、「來-渡」を複合した動詞と解することもできるだろう。私はむしろこの読み方が自然だと考えている。