『説文』入門(36) -「台」と「臺」(上)-

ここで、私なりに「台」と「臺」を整理しておく。やや唐突だが、この歳になると、気になることを一つ一つ片付けていかなければ間に合わない。煩雑なので、三回に分ける。今回は「台」を中心に取り上げてみよう。
『説文』では「台 説也 从口 已聲」(二篇上163)である。今の字形から見れば「厶聲」になりそうだが、篆書体からして「已聲」である。フォントの関係で一応「已聲」としたが、「已」はそれとしては『説文』に収録されない。「已」は「以」と考えればよく、この点が音に関連するだろう。
さて、段注は「台説者 今之怡悅字」とする。「説」は「悅」の義で、「悅」字が『説文』に収録されないから、「説」で定義していると考えるわけだ。少しだけつけ加えると、「台」はまた「怡」の義で、「怡」は『爾雅』で「怡 樂也」(釋詁第一上・10)、『方言』第十36及び『廣雅』巻一下釋詁・31で「紛怡 喜也」、『玉篇』で「怡 翼之切 悅也 樂也」だから、「樂也」「喜也」「悅也」あたりが抽象できる。
また「台」には、「台 我也」(『書經』禹貢注、『爾雅』釋詁第一下・1)、 「台 予也」(『爾雅』釋詁第一下・3)で「われ」の系統がある。
『玉篇』が「台 與時切 我也 又音胎」(口部五十六)、『廣韻』が「台 我也 與之切 又音胎」(上平聲巻一 之七)だから、むしろ後世ではこちらの方が主たる義と考えられていただろう。いつ頃から「邪馬臺國」を「邪馬台國」とも表記するようになったのかよく知らないが、これが「臺」を「台」とする根拠の一つになったと推測している。
この他、『方言』に「台 胎 養也」(第一05)などがあり、「台」には多様な意味があった。
音については、大きく「土來切」と「與之切」の二系統が考えられる。早くも『詩經』大雅の「黄耇台背 以引以翼」(生民之什 行葦)の「台」音について議論がある。鄭箋は「台之言鮐也 大老則背有鮐」で「台」を「鮐」の仮借とみており、これから「湯來反」と「魚名 一音夷」の二音が指摘されている。
『説文』段注は、「我也」の義から、後者の「台 與之切」を採用している。反切の音だけでは何のことか分からない人が多いのに敢えて表記するのは、古音の復元そのものが難しいと共に、必ずしも仮名音で表すことが適切であるとは言えないからである。
だがまあ、「土來切」「湯來切」を「タイ」、「與時切」「與之切」を「イ」あたりに読んでおくのが親切かもしれない。