苦いと渋い

五味は一般に「酸・苦・甘・辛・鹹」の五つを指す。「鹹」は見慣れないが、「塩からい」の意味である。
なぜこれらの味が五味に取り上げられたのかよく分からない。それぞれを「木・火・土・金・水」の五行に当てることがあるから、元来中国の考え方かもしれない。その構成については普遍性があるようにも見えるが、存外文化や風土のみならず、時代や個人史なども関連するのではなかろうか。
頂いたゴーヤをここ何回かおいしいと思って食べることができた。苦いというのに程度があるのかどうか知らない。が、これだけ食生活が複雑になれば、苦いものもさぞかし種類が大いに違いない。
私が苦味として出会ったのはピーマンが最初だったかもしれない。当時味わった苦味は今では感じないが、記憶には残っている。少年期には、食べるのにある程度努力が必要だったと思う。
今では苦いという感覚もなくなり、さわやかな味で、おひたしなどいろいろ工夫して食べている。仮に苦いとしても、ビールなどと同様に、すでに受け入れた苦味ということになるだろう。
私にとって今でも苦いといえば、フキノトウや土筆である。これらは季節の味であり、周りに好んで食べる人が結構いる。私も山蕗は大好物であるが、フキノトウは蕗味噌にしても天ぷらにしてもほんの少し口にする程度である。土筆も卵でとじて何回か食べたことはあるが、好んで食べる気はしない。それぞれの苦味が私の限界を超えているのかもしれない。
苦いといえば飲み薬も触れないわけにはいかない。私は風邪薬なども苦いまま飲むことにしている。若いときから、苦いものでも割合嫌がらずに飲んでいた。頭の中に「良薬は口に苦し」という諺があり、薬は本来苦いものという観念があったからだろうか。
どういう訳か五味の中に「渋い」が入っていない。我が家の庭に、富士柿の木が立っている。富士柿は渋柿で、熟して甘くなると中々美味い。だが、手入れが行き届いていないから、木の上で熟す前に殆ど落ちてしまう。時期がくると、落ちた柿がいかにもうまそうに見えることがある。思わず拾い上げて食べると誠に甘く、自然の醍醐味を味わえることがある。また運が悪いと、多少渋みが残っていたりもする。この歳になると、好んでは食べないとしても、「渋み」もそれはそれでたいそう憎むほどではなくなってきた。