好太王碑文(8) -辛卯年条の欠字-

「百殘新羅 舊是屬民 由來朝貢 而倭以辛卯年來渡海 破百殘□□□羅 以爲臣民」
辛卯年条を通読するには、欠字に取り組む必要がある。すでに様々な解釈がなされてきた。いくつかを吟味した上で、取捨選択を試みることにする。
「百殘新羅 舊是屬民 由來朝貢」という前置文からすると、辛卯年条が百済と新羅及び倭に関して述べられており、文字の残り具合からも、「□羅」を「新羅」とする点は肯首できる。以下、代表するものを取り上げてみよう。
1 「破百殘加羅新羅 以爲臣民」
2 「破百殘又侵新羅 以爲臣民」(労貞一説)
3 「破百殘聯侵新羅 以爲臣民」(鄭寅普説)
4 「破百殘更討新羅 以爲臣民」(古田説)
1、2は主語を「倭」、3、4は主語を高句麗・広開土王(好太王)とするものである。
さて、1は日本において定説とされていた読み方で、「破」「爲」の主語は倭であり、「百殘-加羅-新羅」を並立させる。この場合、「加羅」が前段とどの様に関連するのか、なぜ「加羅」であって「任那」「安羅」などでないのかよく分からない。
2は台湾の労貞一説という。主語が倭だから、「破百殘又侵新羅 以爲臣民」は「倭が百済を破り、又新羅を侵して、臣民となした」ことになり、整合性はある。ただし、「侵-新羅」だけで、臣民にしたというのは文意がやや離れている観がある。
3は韓国で通説とされ、主語は好太王である。だとすれば、大義名分を無視して「百済を破り、新羅へ侵略」したことになり、腑に落ちない。「屬民」である新羅へ「侵略」することはありえない。また主語を百済として「招倭侵新羅」などとする場合がある。だが百済は「屬民」と定義されている上、高句麗ないし倭に破れたことになっており、新羅を侵略できる余力があるとは考え難く、達意とは言えまい。
4は主語を好太王とするもので、既に碑文(7)で検討したように、「更」は意味上でも文法上でもありえるし、用例から「討」という動詞もそれなりには納得できる。この場合、高句麗はまず先に百済を破り、更に新羅を討伐したという時間のずれがあったことになる。しかしながら、私は主語を倭とするから、この解を採用できない。
辛卯年条は前置文から百済と新羅に関連する文になるだろうから、私は、「加羅」などこれらと同格の国名をはさむのはやや唐突ではないかと考えている。とすれば、「破百殘」と「□新羅」を結ぶ接続の語をあてるのが成り行きだろう。
ただし、接続語といっても「又」「以」「而」「更」など候補が多く、どれかに絞ることは難しい。「又」では百済と新羅の関連が薄れるだろうし、「以」は後文と重複する印象がある。「而」も「而後」とすればまた重複する印象があるし、「更」では字形に不安がある。私は今のところ、文意と用例から、「而」を採用したいと考えている。
また『説文』入門(34)(35)で述べたように、九年条の「潰破」を重視し、接続語に続く動詞として「潰」を提案したい。
以上、私の結論は「破百殘而潰新羅 以爲臣民」である。異論もあろうが、たたき台としてはまあまあではないかと思う。