静かな祭り
郡上八幡の春祭りが終った。今年は天気がよくて気持ちがよかったものの、いくらか寂しい気もした。
祭と言っても、我が家では特別な客が来ることもないから、寿司を作るわけでもないし、普段と変わったことは何もしない。それでも孫がいる時であれば、半日彼に付き合って、神輿について回ることぐらいはしてきた。だが、今年は孫がいなかった。これも寂しい理由の一つかもしれない。
それに今年度は、この町内の小学生がほんの数人になってしまったので、神輿を出さなかった。
冷静に考えてみれば、あちこちに空き家があるし、空き家でなくとも年寄りがそれぞれ静かに家を守って暮らしているところが多い。跡取りがいる家はちらほら数えるほどで、子供の顔を見るとほっとするような状況だ。この間も、夜中に救急車が近くで止まっていた。
無論、子供たちが大勢いた時には毎年町内で神輿を自作していた。各町内には必ず達者な人がいて、なかなか見事なものをつくる。わが町内も負けていなかったのだがなあ。
子供の数が減るに連れて、だんだん下(しも)から神輿を買うようになった。それでも、小さな手直しや電飾をつけるなど結構作業がある。町内の有志も、この工程を楽しみに、酒などを差し入れしていたものだ。
どうしても子供に神輿を出してやりたい所は、いくつか町内を合併してやる。だが、今回はそこまで話がまとまらなかったようだ。残念だが、いたし方あるまい。
だからなのかどうか、例年より町中が静かだったように感じた。実際のところ、神輿の数も減っているのではなかろうか。
週末であり、観光客もいたので閑散としていたというわけではないが、華やかな祭りの雰囲気にかげりが見えるのを隠せなくなっている。祭りが必ず賑やかなものとは言えないとしても、少なくとも私には、わいわいがやがや心躍る晴れやかな日だった。
ただ私が寂しいと感じたのは、私の血肉に神楽の笛や太鼓の音が染み付いておらず、何があっても体が動いてしまう根のようなものが無いからかもしれない。或いは、ただ老いぼれて楽しい気分になれなかっただけなのか。