『説文』入門(44) -「闕」と「厥」-
「闕」「厥」はかなり議論されているテーマであるが、私にとっても重要なので、おさらいをしておく。多義で、しかも難解だから、できるだけ要約したい。
『説文』で「闕」は「闕 門觀也」(十二篇上044)である。声符がフォントの関係でお見せできず心苦しいが、門構えの形声字である。
音について、『玉篇』は「闕 袪月切」(門部百四十一)、『廣韻』は「去月切」(入聲巻五 月十)、『集韻』は「丘月切」(入聲九 月十)。段氏は「去月切」を採用している。仮名音でいえば、「ケツ」「クワチ」あたり。
『説文』は「門觀也」で、段注は「此觀上必加門者 觀有不在門上者也」である。
まことに厄介だが、「觀」は考古学などでも使われる用語だから、丁寧に定義しなければなるまい。二例の「觀」のうち、前者は「凡觀與臺在於平地 則四方而高者曰臺 不必四方者曰觀」のそれで土台、後者は「樓觀」のことで物見の建物の義だろうか。
だとすれば、「闕」は土台となる「觀」上に門を加え、「樓觀」がその門上にはないものとなる。「樓觀」の土台まではよく分からないとしても、「觀」上にあるとすれば、四方である必要はない。
『説文繋傳』では、左右両側に「臺」を築いて、その上に「樓觀」をつくる。そして、その両観の間が欠けて道となることを「闕」と解している。この場合、「臺」上につくるから、「樓觀」の土台は四方になる。
段氏は「闕」の左右にある樓観が『周禮』では「象魏」、『春秋經』では「兩觀」、『左傳』僖五年条では「觀臺」にあたるとする。「象魏」の「魏」は「巍」の字形でも使われ、「巍闕」などの用例がある。お気づきのように、すでにここで「闕」「觀」「臺」が錯綜している。
『爾雅』釋宮は「觀謂之闕」で、「闕」は「觀」そのものだ。この場合の「觀」は、『説文』の「門觀也」と同義で、両脇の「臺(うてな)」のことだと思われる。『繋傳』によれば、「遠觀(遠くを見る)」とするから「觀」であり、王者の宮殿にあれば「臺」ということになりそうだ。
また「闕」「觀」「臺」を門とみれば、左右に樓観があり中央が欠けているように見えるのが「闕」、欠けていないものが「臺」で、後者の場合臺上の樓観そのものが門の役割をも持つことになる。段氏によると「臺」は門を跨ぐから「臺」で、『禮器』の「臺門」、 『左傳』の「門臺」がそれにあたると云う。
以上、「闕」「觀」「臺」が複雑に関連した類義語であり、いずれも引申で宮殿の義になる点を確認できたのではないか。「闕」「臺」は天子の宮殿であることが多く、「觀」は諸侯のそれに使われることがある。
他方、「厥」は「厥 發石也」(九篇下118)となっており、「闕」と同声符で、やはり形声字の解。音は『玉篇』(厂部三百四十八)及び『廣韻』(入聲巻五 月十)で「厥 居月切」、段氏は「倶月切 十五部」である。
王沈らの『魏書』では鮮卑大人の名を「闕機」とするのに対し、陳寿が『三國志』鮮卑傳で「闕」を避けて「厥機」とするのは、彼もまた魏の大義名分論によって字形を変える人物であることを示している。「闕」「厥」は諧声字だから、この場合、類似音を使った書き換えの例と考えてよいだろう。