寒暑

「三寒四温」は真冬にシベリア高気圧からの寒気が七日ぐらいの周期で強くなったり弱くなったりする現象で、もともと中国東北部や朝鮮半島北部の俚諺だそうだ。
ところがこの現象は列島では左程はっきりせず、だんだん初春に適用されるようになり、寒さと暖かさが交錯しながら段々暖かくなる様子を指すようになったという。私は、後者の意味で、てっきり日本のことだとばかり思っていた。一寸先は闇である。
「暑さ寒さも彼岸まで」と言われる。なるほど言いえて妙である。年によって多少のばらつきがあるにしても、その正しさを実感することが多い。四季のはっきりしている日本では、日々目にするものが変わり、生きているだけでパノラマを楽しむことができる。
ただ、私の場合、彼岸は暑さ寒さに耐えられる精神の限界を示しているような気がする。この時期、日々大きな暖かい気団と冷たい気団とが入れ替わり、また昼夜にも入れ替わっているように感じている。桜の咲く三月末や四月に入っての雪とか、真夏日はこまったものだ。年のせいか、寒暖の差が激しいと体にこたえる。
郡上でも五月に入ると、昼間は、初夏の匂いがする。だが、我が家では四月下旬まで、朝晩の冷える時間帯はストーブをたいていた。朝晩は空気がひんやりして気持ちがいいが、昼間は相当気温が上がるから、体がなかなか適応できず衣替えが遅々として進まない。
家の中では寒い時間帯の格好で昼過ぎまでいる。昼には、さすがに暑苦しいので薄いものに替える。ところが夕方には、また肌寒くなる。仕事に出て帰宅する夜中ごろには、薄手のジャンパーが必要というようなわけだ。
家に閉じこもって何やらやっていても、気晴らしにはならない。やっぱり新緑の山や澄んだ川は得がたい。天気がよくて風のない日は、外へ出てあれこれ考えるのが楽しい。
午前中に川辺で休んでいると、ひんやりするので、一箇所では長居できない。だが、体を動かすとすぐに温まり、セーターすら邪魔になる。贅沢なことなんだがなあ。