コロッケ

休みの日は、競馬中継の終わる四時ごろ散歩に出る。よほど天候が悪い時には勇気が湧かないけれども、少々の雨なら決行する。殆ど歩くコースは決まっていて、吉田川を遡り、小野にあるスーパーへ行く。散歩と言えば、景色のよいところを歩いて、気分を一新したい人が多いだろう。私も変わらない。ここのところなぜこのコースを歩くことが多いのかを書いてみようと思う。
きのう出かける時は晴れていたものの、先日来の雨のせいか、蒸していた。それでも、川ぞいでは川風が吹いており、皮膚がさわやかだ。ここでは風に全く塩気がない。
私は、瀬戸内海沿いで生まれ育った。この時期の昼間は、強い日射しのもと、浜風が吹く。甲子園球場のスコアボード上にある旗を思い浮かべていただきたい。晴れた日が続くと、連日、相当強い風が吹く。松林を通り抜けた風はそれなりに磯の香りを和らげられるけれども、どうしても海風だ。しばらくあたっていると、塩を含んだような、ねっとりした肌触りになってくる。だが、私はこの風の中で皮膚を焦がすのが嫌いでなかった。
私が育った頃は高度成長期とオーバーラップしている。私の周りでも、なりふり構わず働き、少しでも前より豊かに暮らすことを追及する人が多かった。自らが生きる自然環境を優先していた人は少なかったと思う。近くを流れる加古川や明石川、武庫川などの下流域を見て育ったので、川には濁った水が流れているものだと思っていた。当時は生活雑排水や工場排水が流れ込み、富栄養となって、ほとんど死の川と化していた。
今私は、山の中で暮らしている。ここに引っ越してから通算三十年近くになる。ほぼ毎日、この川を見てきた。長年ここで暮らす地元の人たちは、これでも、昔よりは汚れているという。私が長良川の中流域にあたる八幡へ引っ越し、住み続けている理由の一つはこの川に流れている水にあるかもしれない。ここでは、たとえ上流域で大雨が降って川が濁っていても、それはそれで悪くない。
アユ釣りの太公望が熱心に竿を出しているのを横目で見ながら、木陰を求めて歩く。今日は、目の前をまだらのカミキリ虫が横切るし、模様の美しい蝶々が飛んでいた。帰りには、ぼやけた茶色の翅をしたトンボに出くわした。
散歩の途中、一回り以上若い友人宅でひとしきり話をして帰る。ここのところ、その手土産としてコロッケを買っている。私の懐具合ではこのあたりが限界だ。彼がいかにも旨そうに食べるので、条件反射のように、どうしてもコロッケを揚げているスーパーへ足が向いてしまう。
山紫水明とコロッケを一緒に食べる友人、なかなかではないか。