『説文』入門(55) -「古」の解釈-

私は以前「女王國は呉系」「落差」(金印シリーズ13、15)で、「卑彌呼」から倭王武まで約三百年にわたって呉系統が継続し、その後『舊唐書』の「倭國者古倭奴國也」という記述から「倭奴國」の後継国家が列島史の主役に返り咲いたと考えてきた。これは、『梁書』倭國条で、倭國の乱後に「卑彌呼」の共立から始まる点と対照できる。ここでは「古」の用例から、この解釈に根拠があるか否かを確かめよう。
『説文』では「古 故也 从十口 識前言者也」(三篇上027)となっている。字形から言うと、「从十口」であるから、「十」と「口」の会意字である。
音については、『玉篇』及び『廣韻』(上声姥十)が「公戸切」であり、段氏もこれを採用しているようにみえる。これに対し「故」は『玉篇』『廣韻』(去声暮十一)が「古暮切」とするが、段氏は「古慕切」とする。とは言え、「暮」「慕」は同部同声調だから、ほぼ同音と考えてよいだろう。これから「古」が上声で「故」が去声の違いはあるものの、同部仮借とは言えそうだ。いわゆる声訓というやつである。
義については、『詩經』邶風の日月伝に「古 故也」、同大雅の緜伝に「古言久也」とあり、『爾雅』にも「古 故也」(釋詁第一下・36)とあるから、「古 故也」は伝統化された解ということになろう。「故」は『説文』で「故 使爲之也 从攴 古聲」(三篇下207)とされ、原義の解は難しい。『廣韻』の「舊也 事也」あたりとすれば、「故事成語」などのごとく、使ったり為したりして物事を知ることないし成就すること。従って、『説文』説を採用すれば、「原故」「故舊」などは後に生まれた引伸になる。
今回は『三國志』魏書の烏丸・鮮卑・東夷傳における「古」の用例を取り上げてみる。
1 烏丸・鮮卑条 「烏丸・鮮卑即古所謂東胡也 其習俗前事撰漢記者巳録而載之矣」
2 夫餘条 「國之耆老 目説 古之亡人作城柵」
3 高句麗条 「古雛加」
4 邑婁条 「古之肅愼氏之國也」
5 韓条 「其耆老傳世自言 古之亡人避秦役 來適韓國」
6 倭人条 「男子無大小 皆黥面文身 自古以來 其使詣中國 皆自稱大夫」
高句麗条(3)は仮借字だが、これを除くすべての用例はそれぞれ「いにしへ」の義で間違いなかろう。中でも(1)と(4)は魏代の烏丸・鮮卑及び邑婁がそれぞれかつての東胡及び肅愼に由来すると記されている。
倭人条(6)の「自古以來」は魏朝からみて「いにしへ」であり、前代は後漢だから、これに遡れることは間違いあるまい。
これらから『舊唐書』の「倭國者古倭奴國也」は、初唐前後の「倭國」がいにしえの「倭奴國」に由来すると読める。「倭奴國」が越系とすれば、この時代の倭国もまたこの後継国家であったことになる。

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