真夏の夜の夢

この歳になると、遠い先をみて、夢みることはない。ただただ今までの営為を続けるだけだ。たとえ焦ってみても、どうなるものでもない。従って、特に何をしたいとか、何をしたくないとかを考えることはまれだ。
暑いさなか、孫が帰郷した。今月の初めに、夏休みを利用して、「山村留学」に帰ってきたのである。時に子供のエネルギーは底知れない。ぎりぎりまで元気に動き回り、限界が来ると、ばったり寝てしまう。ところが、爺さんの方はそうはいかない。
朝から虫とり、豆バスを付き合う。昼からも、あちこち散歩し、天気がよければ川遊びをする。
虫とりは、主として水辺でトンボを、草場でキリギリスやバッタなどを採集する。取り始めて三日後、偶然にも、オニヤンマを捕まえた。何となく自信がついたのだろう、その後も当たり前のようにオニヤンマやギンヤンマなどを捕まえられるようになった。
豆バスはほぼ卒業しかけており、当初は、さほど興味を持っていない様子だった。が、冷房のきいた車内でのんびりするのがよいのか、落ち着いて道中を楽しんでいるように見える。
真夏の昼というのに、午後の散歩もすさまじい。頭に虫のことがあるからか、山の中を歩くよう要求する。冷たいお茶を持ち、途中で駄菓子を手に入れてから、山へ入ることが多い。私としても、山中は涼しいし景色もよいから、つき合って山の中を歩き回っている。先日乙姫の谷を上がっていると、如何にも気持ちよさそうだったので、沢へ降りて足をつけた。しばらくして気がつくと、二か所ほど小さなヒルに食いつかれていた。
吉田川での川遊びも、日ごとにステップアップしている。まだすっかり泳ぎをマスターしているわけではないから、一時も目を離せない。だが川に慣れる段階を過ぎて、とうとう本日、土手から川へ飛び込んだ。
確かに子供が日に日に進歩するのを見るのは楽しいし、徐々に自信をつけて誇らしい表情をするのもなかなかよい。
私は疲労困憊して、昼食後か夕方に昼寝をするようになった。かような訳で、ライフワークの方は一時休止の状態である。
私は高校時代、三年の文化祭だったか、シェイクスピアの「真夏の夜の夢」を英語で演じたことがある。誰の役をやったのか、筋がどうだったか全く記憶がない。だが、当時のことを考えると、寝苦しい芝居だったに違いない。これに比べれば、暑い盛りなのに、今寢つきがまことによい。ほどよい疲れというよりは、毎日、限界に近い疲労が襲うからだろう。
落ち着いて何をやっているか考える暇はなく、どれほど続けられるかが目下の関心事である。