極南界(1)

歴史学へ足をつっこむことが愚かなことは重々承知しているが、成り行き上、仕方がない気もする。しばらくは史書の読み方にかかわるから、少しは楽しんでいただけるかもしれない。
今でも金印の「漢委奴國王」を「漢の倭の奴の国王」と読むことが教科書に載っているから、敬意を払わざるを得ない。同説はその根拠として、
1 「委」は「ヰ」と読まれ「伊」は「イ」、また「奴」は「ド」で「都」を「ト」と読まれるから、いずれも音が異なる。
2 『三國志』倭人条で「伊都國」は九州北岸にあるのに対し、『後漢書』では「極南界」にある。
という理由で、それまでの「伊都國」説を廃し、「奴(那)國」説を復活させたと言ってよいだろう。
1の音韻については金印シリーズで概略のことは述べてきた。その音韻についておさらいしておくと、
①金印の「委」は「倭」の略体であるのみならず仮借字でもあり、少なくとも秦漢以後の「委」は「ヰ」であるから「倭」を「ワ」と読むことが難しい。従って、「委奴國」「倭奴國」の「委」「倭」はともに「ヰ」あたりの音と考える他なかろう。金印は基本たる金石史料であり、今のところ、これに勝るものはない。従って、「倭(わ)の奴」とは読めないのではないか。
②「委」「伊」は、後漢代では、ほぼ同音とも考えられる。(『説文』入門18)
③「奴」「都」については、「ド」「ト」という音の違いについてだから、声母における舌音の有声と無声の違いに帰着する。
『切韻』(『廣韻』)前後から初唐代において、唇音のみならず舌音などにおいても、有声音と無声音が厳密には区別されていなかった。しばしば混乱して使い分けされておらず、混用されていたと考えられる。これらは、今後さらに研究が必要だとしても、前代へ遡らせることが可能だろう。(『説文』入門19、20、21)
韻母については、反切が同韻だから、同部同声調の仮借字と考えられる。(『説文』入門22)
以上である。
ここから2の「極南界」について私の腹案を披露してみたい。すでに詳細な研究がなされている分野ではあるが、幾ばくかは創意工夫した読み方ができるかもしれない。自分の歴史観を確かめるためにも、取り組まざるをえないのである。
これにかかるための準備として、『説文』入門(54)で、韓半島南部に倭人勢力が馬韓や弁辰韓と界を接して居たことに言及した。『三國志』魏書倭人条の「接」もまた、恐らくは定着農耕を主たる営為とする国が互いに接している義であることを示してきたのである。私は、この状況が後漢代に遡れると解している。この点を含め、「極南界」を考察しながら、『後漢書』倭条における「倭國」の勢力圏を明らかにしていく所存である。