鬼の語源(上) -郡上から-

まだそれほど煮詰まっていないけれども、ここらあたりで吐き出しておかないと妨げになりそうなので、少しばかり纏めておく。
一般に『倭名類聚鈔』(源順)を引いて、「鬼」は「隱(オヌ オン)が転じてオニと読まれるようになった」とされる。何もこれに不満があるわけではない。
郡上でも「鬼谷」を「オンダニ」と読むから、確かに「鬼」は「オン」「ヲン」辺りの音から始めることもできそうだ。ただ「隱(オヌ)」という読みに関して言えば、この形で「霊なる存在」を表現した用例を探す必要があるだろう。
鬼はその姿からして多様である。性別は不明だし、角も二本とは限らない。目にしても必ず二つとは限らないのである。
『日本書紀』や『風土記』『日本霊異記』などの用例からしても、鬼の起源は多様である。これに各地の伝承を加えれば、類型をつくって整理しなければならないかもしれない。これらから語源として「隱(オヌ オン)」以外も考えられることは間違いなさそうだから、できれば更に幾つか源流を遡ってみたい。ここでは、この地方の視点を中心にして語源に迫ってみよう。
郡上の瓢岳(ふくべがたけ)に鬼の伝承がある。伝承に混乱があり、鵺(ぬえ)と合体してしまったものや、猿虎蛇(さるとらへび)と混じってしまったものもあり、鬼を抽象するだけでも骨である。
そこで用心して、高賀社の『境内由緒書』から、「妖怪が住みつき、その姿は頭の形や口がいかにも牛に似ており、なき声も牛のようであった。村人に害を与えていたので、承和三年(933年)に天皇の勅命を受けた藤原高光がこれを退治し、高賀山麓に神々を祀った」を採用したい。
「牛かえしの岩」の伝承があるし、これに関連して念興寺の鬼に角が二本あり、牛を念頭においていそうだからである。
ただ郡上の場合、鬼が虎のパンツをはいている伝承を聞かない。これだけをみれば丑寅の方向についてはあまり意識されていないことになるが、高賀社、星宮社及び那比新宮では本地仏として虚空蔵菩薩を祀っている。
この鬼をどう遡るか難しい。ここらあたりでも修験者などの家系が「鬼」の末裔と称することがあるようだし、台風や竜巻などの自然現象も考えられる。
前者の場合、私は垂仁紀二年条注にある「名都怒我阿羅斯等(ツヌガアラシト) 亦名曰于斯岐阿利叱智干岐」という人物に注目している。「于斯」だけでは弱いが、一説に「黄牛」が伝えられているので、牛鬼との関連が考えられる。彼は韓半島南部にあった「意富加羅國」の出である。
後者の場合、この信仰圏に「宇留良(うんら、うるら)」という地名がある。宇留良(うんら、うるら)、温羅(うら、おんら)は音韻として十分対応できそうであり、韓半島の百済出身と伝えられる温羅が鬼と結びつくことから、これを語源とみることもできる。少しだけ種明かしをすれば、私は「温羅」から「安難」「温難」へたどり、「生暖かい」風の義から台風の前兆とする解が脳裏にこびりついている。
つまり「おんら」「うんら」から「温(おん)」「おに」をもまた復元できるのではないか。

前の記事

極南界(1)