方言と歴史学(6) -郡上の場合-
前回途中経過として書いた四つ仮名は、まだよく考えもまとまっておらず、こなれていない處もあった。少しおさらいをしておくと、「じ」「ぢ」「ず」「づ」が四つ仮名と言われるもので、「じ」「ぢ」および「ず」「づ」が時代や地域によって区別されたりされなかったりする。私はこれが、存外根の深い淵源を持つと考えている。今回は郡上を取り上げ、私がもがいている問題を書き留めておく。
『美濃國神名帳』に郡上の神社として七社記され、中に「國津(くにつ)明神」という神名が載っている。二説あり、一つは美並の若宮八幡神社にあて、一つは和良の戸隠神社にあてる。
前者は本社が若宮で、右に白山、左に縣(あがた)明神を祀り、三所明神という。境内の国津井(くつゐ)という井戸の水が病気にきくので国津神社と称したとある。名義について疑問があり、伝承のように「国津井(くつゐ)」が原形であれば、「國津(くつ)明神」とも読めそうだ。
和良の戸隠神社は明治七年(1874年)に改称された名で、また九頭(くづ)宮とも呼ばれているという。この地の地頭であった橘頼綱が文永八年(1271年)から建治元年(1275年)にわたり大般若教六百卷を奉納している。この奥書に「九頭大明神御寶前」とあるから、当時九頭大明神を祀っていたことは確かで、伝承通り九頭宮(くづのみや)と呼ばれていたのではなかろうか。
『文德實録』に「齊衡二年(855年)閏四月巳卯朔丁酉 分美濃國多藝武義兩郡爲多藝石津武義群上凡四郡」と記されている。また『倭名類聚抄』によると、郡上郡は郡上郷、安郡郷 和良郷 栗栖郷の四郷に分けられている。
栗栖郷の表記については、他に「栗垣」「栗原」「栗巣」などが知られている。これらの中では、音から考えると、やはり「栗栖」「栗巣」ということになる。いずれも、伝承音は「くるす」である。まだ少し不安な点が残っているものの、私はこれを「くりす」「くにす」から「くず」へ遡ろうとしている。
中世史料へ遡れるのは以上三例にすぎないが、「國津(くつ)」をまた「くづ」とすれば「國津」「九頭」が「くづ」、「栗栖」「栗巣」が「くず」になりそうだ。前者を四つ仮名圏内の用語とし、後者を二つ仮名とすれば、背景の異なる者たちが同一の語源に対して命名していると考えられないか。
同じ郡上でありながら、一方は「くづ」で他方が「くず」だから、混乱しているように見える。が、郡上は決して小さくない。私はこれらが郡上古代文化の二大潮流を示すと推測している。
ここで三つ仮名を登場させるのは混乱のもとになりそうなので、次回言及することとする。