山葡萄

このコラムのホームを眺めていると、あざやかに紅葉した山葡萄の版画らしきものが目に入った。今頃、確かに山の中で葉が黄色から紅や赤に変わっているだろう。すっかり紅葉するこの時期になると、実が豊かな香りを放っているに違いない。ただし、私の眺めている色がどのパソコンにも共通しているかどうかよく分からない。
若い時に食べたいのに食べられなかったものとか、何かの思い出につながるものなどは格別の味がするものだが、この歳になると、特に食べたいものとか飲みたいものが少なくなってくるように思う。ご馳走でなくても、秋ならサンマや栗ごはんなど、旬のものを食べることができれば何の文句もない。
なのに、この絵を見ていると山葡萄の香りのみならず甘酸っぱい味が鮮やかによみがえってきた。
私は何回か山葡萄に出会っている。山を熟知している友人とこの時期に何回か出かけたことがあるのだ。ただ、山葡萄が目的だったかどうか覚えていない。
蔓を見つけると、それこそ芋蔓式に、本体へ辿れる。栽培されているブドウとは違い、房の一つ一つに実は数えるほどしかついておらず、たわわについているものは少なかった。
味は、一昔前のことであるからはっきり覚えていないが、凝縮された「巨砲」のような風味だったと思う。多少酸味があったが、私は果物に酸味を求めるので、ほどよいと感じた。酸味と甘さのバランスも心地よく、濃厚な味なのに、上品な香りがあるから、なるほど美味いものだと感じたものだ。
土産に持ち帰るほどの量でなかったので、自分たちだけで楽しんだ。冬眠前の熊もまた好物だと脅かされていたから、周りを気にしながら食べたことを思い出す。
後で聞くと、ジャムにしても美味しいらしい。さもありなん。ワインにする話も聞く。いずれにしても相当な量を集める必要があるだろう。
ただし自ら採集したとしてもワインを造ることは酒税法の違反で、今だに禁止されている。酒税が税収の重要な一部であった時期が長いから、国家が製造をすべて管理する意味があっただろう。酒税の割合が著しく減少した現在でもこの法は生きている。現在では税目が多岐にわたり、酒類の製造を特に厳しく制限する必然性が薄れてきている。既に超法規の時代が過ぎただろうから、酒税法の一部を改正してよいように思う。CDなど、販売目的ではないものはコピーが可能である。自家用にワインを造ることぐらいは本来自然権に属するのではなかろうか。