『説文』入門(59) -銅鐸(下)-

小さな入れ物にたくさんは入らない。欲張ってあまり多くを盛るとこぼれてしまう。他に気になるテーマもあるが、いくらかは纏まりをもたせる必要があるので、このままいじらず書く。今回は、舌(ぜつ)と大型化についての話である。
金舌の銅鐸は金鐸と呼ばれ、ほぼ軍事用であることは既に書いた。考古学資料では金舌の他、石舌、骨舌などもあるようだ。
軍用とすれば、実戦に使われるのであり、消耗が激しいだろう。舌を吊り下げる部分や舌自体が摩耗したり破損したりすることは避けられまいし、本体に触れて音を出す部分も摩損するに違いない。私は本体部分に穴の開いたものを見たことがある。
私は銅鐸が大陸からもたらされものなのか、それとも列島で制作されたのかを知らない。鋳型が相当発見されているとしても、初期銅鐸に関して言えば、列島で制作されたとは考えにくい。恐らく代用として石舌、骨舌などが使われているだろうから、消耗品である金舌を十分供給できなかったのではないか。
工人がいて材料がありさえすればどこでも作ることができるので、あまり制作地に拘る必要はないが、時代区分では避けられない意味がある。
銅鐸が実戦で使われる指揮具だとしても、鐸自身の大きさも様々であり、音の大きさや高低によって届く範囲も異なる。大陸での用例に従えば、緊迫した戦場でも、数十名に進退を指示することができそうだ。
私は、考古学上の時期区分に自信が持てないけれども、銅鐸が徐々に大型化する傾向は認めてよいと考えている。ただ戦場では素早い行動が要求され、これを簡単に持ち運びできないほど大型化することはできない。なのに、実戦ではとても使えないほど巨大化するものもかなりある。これは銅鐸の用法が大きく変わったことを示すだろう。
それでは、その役割がすっかり変わって、祭祀用になってしまったのだろうか。銅鐸は、その大小に関わらず、ほとんどが埋められた状態で発見されている。さまざまな解釈がなされているものの、埋納が農耕儀礼の一つと考えられることが多い。
だが、私は銅鐸が実戦での用法を超えて巨大化したと解しており、指揮具の範囲を超えて「指揮権」そのものを象徴するようになったとみている。つまり、実戦用の道具から、王の権能を示す宝器に昇華されたのではないか。
埋納法について言えば、実戦用の指揮具としてならば他の銅剣、銅矛などの武器と共に、宝器としてならば単独に埋められることが多いと推測できる。
埋納者については、小国家間の戦いの結果、勝者もしくは敗者がこれを埋めたことになろう。前者であれば銅鐸を破壊したりコレクションしそうだし、丁寧に鰭(ひれ)を下にして埋納されている場合が多いことから、私は後者が再起を期して秘蔵したものが多いと考えている。

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