馬鹿のいごこち
これはわたくし事であって、ほかの人を巻き込むつもりは全くない。この歳になってもその日暮らしから抜け出せないでいるのに、いろんな欲がなくなってしまったのだろうか、穏やかな生活に満足しているように見える。
無論、穏やかなのは見かけにすぎない。私一人を取り上げても、生き物であるから、生老病死のいずれからも逃れられない。
ゆったりした年金生活を期待できる身ではなく、生きていくには生涯現役を貫くほかない。自分が選んだ道であり、誰にも文句を言うつもりはない。ただ体が資本の仕事なので、緊張の糸がいつまで続きますやら。
これと言って持病があるわけではないが、若い時から乱暴な生活をしてきており、この歳になってみれば健康の自信などあるはずもなく、かなりゴールが迫ってきていることを自覚している。従って、そろそろこの世とはおさらばする準備をしなければならず、なにかと忙しい。
自分が歳を取るというのは、周りの人が段々亡くなっていく事と表裏になっている。彼らの恨みや願いの一端を担おうとはしてきたが、力及ばず、途方に暮れるばかり。
愚かながら自らに課してきたライフワークにしても、その完成度たるや目を覆いたくなる。私が歳をとって老いぼれてしまったのか、本当のテーマではなかったからか、日暮れて道遠しである。
この先を考えれば、昼夜を問わず勉強しても時間が足りない。まあこの点は、もう一回人生をやり直してもやはり時間が足りないだろうから、気は楽である。
生涯をかけて大事にしてきた価値観とやらも、つぎはぎだらけだったからか、どうも御破算して考え直さざるを得ない。すっかり生暖かい水につかり、横着になって、自らを制御できない傾向が出てきたようだ。
幾ら歳を重ねても、溌剌と生きている人が大勢いることは知っている。これからすると、歳をとってしまったことが言い訳になるはずもない。
田舎に住んで刺激がないから同じようなことをくり返す他なくなってしまったのか。いやそうではあるまい。田舎で暮らしながら、様々な分野で刺激を与えたり受けたりしている人がいる。
今どこが痛いわけでもないから、やろうと思えばかなりの事でもできそうだが、どうしても今までやってきたことを繰り返してしまう。どうも思い浮かぶことが単調になってきたように思う。
すっかり馬鹿に馴染んで呆けていることに居心地がよくなり、これに抗わないのであれば、まさに生ける屍か。